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ゆっくり、いそげ

クルミドコーヒーの影山知明さんの『ゆっくり、いそげ』を読んでいます。

仕事の関係で繋がりがあるのですが、本を読んで改めて、繋がれた理由がわかりました。おこがましいですが、必然的な出会いのような気もしています。とても面白いので、内容についてはまた別の機会でゆっくりと書いてみようと思います。本日は本のタイトルについて感じたことをつらつらと。

「ゆっくり、いそげ」

とても好きなタイトルです。
真逆の言葉を並べているというのが私にとっては心地が良い。

ゆっくりいけ!でもなく、
いそいでいけ!でもない。

言葉に膨らみや幅があって、
受け手の中で広がる言葉だと思います。

私はこっちに決めるということがあまり得意ではありません。よく優柔不断だと言われます。ただ、決められない自分のことを実はあんまり嫌いではありません。

「ゆっくり、いそげ」という言葉を見たときに、
どうしてか、頭に浮かんだのが「長所を伸ばすべきか、短所を埋めるべきか」の議論でした。

日本の教育は平均化をするように設計されていて、今でもその傾向があるからどちらかというと短所を埋めるべきだとなっているといいます。

そういった背景があるということが広まってきたからなのか、長所をどんどん伸ばす方が良い!という声も大きくなってきたような気がしてきます。

「長所と短所」の議論は、各々が意見を持っているので私もよく聞くのですが、長所を伸ばすべきという意見も短所を埋めるべきという意見に対しても、私は「うんうん、そうだよなぁ」と聞き入ってしまい、では私はどうなのかという結論を今も出せないでいます。

自分が分からないことに対して、短所という言葉を貼り付けていることを見かけますが、それは可能性を狭めてしまっていることになっていることもあるのでは?と思うし、かといって苦手であるならば、それよりも得意なことに専念したほうが良いと思うこともあります。

私としては、分からないものや苦手なものだったり、自分にはどうしても向いてないということでさえ、それをあえてやってみるということって面白いと思うわけです。一方で、得意だと思うことをずっとやっていたいとも思います。

なんてことを考えていると、
限りある時間の中で長所を伸ばすべきか、短所を埋めるべきなのか、やっぱりこれといった結論が出せません。

そんな私が心地良いと感じるのはどうしても、
「長所も短所も伸ばそう。」だったり、
「長所とか短所とか知らん!」みたいな言葉になります。

どちらかに決め付ける言葉というのは、
パワーがあるために多くの人を惹きつけます。
ですが、決め付けてしまう暴力性やこぼれ落ちてしまうものもあります。

私はどちらも受け入れられるような、
力のない言葉を使いたいと思って生きてきます。

だからこそ、
長所を伸ばそうとする人も、
短所を埋めようとする人も、
そんなこと考えたくない人も、
どっちもやりたい人も、
みんな居心地良くいられる環境だったらいいな。
なんてことを長所と短所の議論を聞き、感心しながらも頭の片隅でいつもこんなことを思っています。

「ゆっくり、いそげ」

いつでも自分の中に持ち合わせておきたい言葉です。

終始ふわふわした言葉を並べてしまいましたが、
私らしい文章になった気がしています。

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