思考停止を見つける。

繰り返し伝えることによって世の中が少しずつ変わっていくスピードよりも、繰り返し伝えることに飽きがくる方が早いだろうけれど、それでも変えたいことがあるから伝えることはやめない。

ではどうするか。

伝え方を変えたり、少しでも内容をアップデートして再び伝えることに楽しみを見出す。
そうやって積み重ねている人の話はやっぱり面白い。

自分自身も「わぁ、考えずに話せちゃってるなぁ...飽きてきたなぁ。」となってから、同じ話をどうやって自分自身が楽しく話せるかを考えるのが結構好きだったりする。

思考停止していると感じる瞬間の話。

例えば、
「分断されたことによって作り手の顔が見えない」ことはどの業界においても課題であり、だからこそ引き起こされる問題は多くあるけれど、
「顔が見えないことが問題です」
と、どのような場でも言うことは自分自身を思考停止させている。

複雑なものを分かりやすく伝えるべき場面もあれば、複雑なものを複雑に伝えることが正解なこともある。「複雑なものを複雑なまま理解した上で、分かりやすく伝える場ではあえて噛み砕いて話す」ということ抜きに、ただ分かりやすく伝えるということが正しいと考えて、そればかりをしていると、複雑な問題を根本的に解決するアプローチからは遠ざかる。
話がわかりやすかったですと言っていただくことに対して、自分自身の説明がなぜ分かりやすかったのかを見極めておかないとやはり思考停止する。

たまには自分は全く知らないけれど、あることに対してめちゃくちゃはまっている人同士がひたすらそれに対する愛を語っている場に参加してみて、なんだか全然わからなかったけど、この人たちははまってるんだなということだけがわかるみたいな時間を作ってみるようにしている。分からないけれど、話している人は楽しそうだし、なんだか面白そう、知りたいって思えると、分からないものに自分から近づくようになるからだ。

分かりやすいものが周りにありすぎて、それが当たり前になってしまうと、分かりやすかったから面白かったとなってしまう。

面白さの中に分かりやすさは内包されているけれど、面白さと分かりやすさは違う。

ナンテネ。

ちなみに思考停止と何も考えないことも違います。
何も考えないでぼーっとするの大好きです。

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