東京

「どうして外国人の憧れで、観光客はみんな口を揃えて素晴らしい場所だと言うのに、住んでいる人だけが苦しいというのでしょうか。」

どこにいても「東京」というワードが入ってくる中で、ふと考える事があった。東京はどんなところなのか聞かれる度に、人が多いとかカルチャーが生まれる場所だとか日本の中心地だとか、それらしい言葉を並べてはどこか腑に落ちないところがあって、東京について話せば話すほど自分はこの地に対してどう考えているのかわからなくなっていた。
そして一人の友人はこう僕に尋ねた。
僕はこの質問に対する答えを持ち合わせてはいなかった。

改めて「東京」を考えるために、とりあえず東京というタイトルの曲を聴いた。それらの歌詞には「愛」や「希望」が散りばめられていて、そしてその上、そこでの「孤独」や「苦しみ」も多くの人が好む曲だった。
それらの曲は一人称だった。
歌詞の中で、彼や彼女らは苦しんでいて、それを自分の事のように感じながらその曲を聴く人がたくさんいて。どうやら「東京」に何かを求めているようだ。そしてそれは自分自身にも当てはまることに気づく。
そんな中、僕の心に響いた歌詞があった。

行き着いた東京
彩るネオンサイン
埋め尽くすニューソング
ここで僕らは夢を見てる
輝ける街で擦り切れる今日を
受け入れる事に慣れてしまった
調子はどう?
引き寄せた東京
夢を捨てたって
生きていけるように出来た街だ
何が見える?
華やかな日常?
素晴らしい明日?
夢の輪郭は見えてきたのかい?
調子はどう?
I seem to be crazy.

雨のパレードが歌うこの曲もおそらく主観としての彼らは存在するけれど、それ以上に東京が抱えているものを客観的に捉えて歌っているように感じた。僕たちは「東京」というものに過度に期待をかけすぎているのかもしれない。
結局は、自分次第だということを十分に認識した上で。
この曲を作詞した人は東京で感じる苦しさを知っていた。そしてそれらに音をつけて曲を作った。この曲を彼らはいま東京で歌っている。
「東京」を引き寄せて。

これを書いたのは一ヶ月前のことだった。今になって知ったのは彼らは九州出身なのだということ。ちょうど僕はいま九州にいる。海外から見た東京はやっぱりきらきらして見えた。それは多くの友人が目を輝かせて東京の素晴らしさを語ってくれたからだった。
日本の中で少し離れる事で見える東京は僕の目にどのように映るのだろうか。


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