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ない世界

「何かがあることで何かを失っている。」

「何かをなくせば何かを得ることができる。」

同じことを言い換えているだけなのに、なぜだろう。考えれば考えるほど、違って見えてくる。

前者がなければ後者は生まれないのではないか。
あることで失うということを気づかずに、なくせば得ることができるという発想は生まれるのだろうか。
文章にすると単純な言い換えであるけれど、実際に後者まで考えられて、実践できる人はすごいと思う。

人は気付かないうちに、何かを失っている。

気付かないうちはどんどん突き進めば良い。

失ったものに意識が移る時に、人は子どもではなくなる。失ったものを意識するということは、他人を意識するということだから。

私はこれまで何度、失ったものに気付いて、他人を意識しただろうかとふと考えてみた。

得てきたもの、失ったもの全部含めて自分なんだということは理解しているつもりですが、他人を意識するということはどうしたって痛みを伴うものだから、なかなかぐっとくるなぁと思いました。

だからこそ、なくせば得られるというのは、ずいぶんと豊かな発想だなと思っているし、勇気のいることでもあるのだろう。どうしたらその勇気を持つことができるのだろうか。

"子供ではないけれど、大人になりきれない"

一種の比喩表現ではあるけれど、案外世の中にはそういった人たちが溢れているのだと、年齢を重ねるごとに知ってゆく。


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