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かつての推しと同姓同名の人物に、数年後偶然出会う。

このアカウント、カンナヅキ石水の水の部分はサムネ右の方の清“水”達也から来ている。


かれこれ数年前、中学生だった私はアイマスにハマり、以降ゲーム作曲家に興味を持つことになった。
同じ会社のゲーム、太鼓の達人から世阿弥名義として活動していたコンポーザー(作曲家)の方の清水達也(Tatsh)が当時猛威を奮っていた。

そこから彼のコナミ時代からフリーランス時代までの歴史を遡るかの如く追っていく。
2004〜2008年ごろにコナミで一線で活躍していた時代の写真、映像は中々少なく、仲間同士の写真もあまり見かけない。
当時のサイトは今では使えないFlashプレイヤーが盛んであったことや、古いプラグインもあって見られないコンテンツが多く、中々じれったい想いであった当時だった。

私がもっと早くに生まれていれば…数年後、この叶わぬ願望は強くなっていきます。

同じ人物にスカウトされたことがきっかけでKONAMIに入社し、同期として共に歩んでいたTatshとDJ YOSHITAKA。
この2人の人生は後に大きく分岐し、一方は主に同人サークルで活動、そして一方はKONAMIの上位役員として大出世していったのだ…

この現存するソースの少ない4年間の間にこの2人はどんな関係で、そしてお互いどんな心情で歩んでいたのか想像する日々…中学時代から既に私は会社役員達の仲間関係に目頭を熱くさせる日々を過ごしていた。

人物が変わっただけで、おっさん男同士の純粋なリレーションに興奮するのは今も昔もおんなじである。


月一で貰えるお小遣い頼りだった当時の私にとってはライブや遠征イベントなんて夢のまた夢だったので、コミケや音楽同人イベントに積極的に参加する彼に会いにいくことが出来ず、メロンブックスで新譜を買ったりしていた。
同人CDをわざわざ買ったのはこの人と東方くらいだ。

それから2、3年後、石水の石の方(“石”川哲彦)経由で平沢進を知り、きっかけも曖昧なままにこの当時還暦のおじさんに惹かれ、今に至る。

熱し易く冷め易いので推しはすぐに変わる。流石に申し訳ないと思い、今も時折かつての推しの現在を見にいくが、気付けばバーチャルアーティストになっており、そしてゲーム会社に入社してサウンドディレクターを勤めていた…

金銭的に遠征が可能になった今、残念ながら同人活動をするこの人の姿を生で拝むことはもう出来ない…。


コンポーザーの方の清水達也にお熱だった2017年、この年の高校野球で清水達也という名の球児が活躍していた。これが現在の中日の投手の方の清水達也である。

球児の方が所属していた花咲徳栄は決勝戦まで登り詰め上げ、そしてこの年の優勝校となった。
コンポーザーの方も自身と同じ名前の人物が活躍しているのを黙っていられなかったのかしばしば取り上げており、いつのまにか私もその人とその高校が活躍するのを応援していた。

無事、球児の方の通っていた高校は優勝を納め、そこで活躍していた清水達也はその年のドラフト会議の候補者として抜擢された。

野球に疎く、興味が基本的になかった当時の私はその後、彼が何処で何をしているかを知らなかった…その6年後までは。


6年後、2023年。私の住んでいる大阪の街は熱気に包まれていた。

18年ぶりの阪神セ・リーグ優勝、クライマックスシリーズ決勝戦の3日目で広島に3タテを決めたことにより日本シリーズ出場、阪神vsオリックスという念願の関西ダービー、7戦目までの闘いの末、38年ぶりの日本一を収めた。
私のイチオシである岡崎体育氏が最終戦3日目に登場し、勝ったので六甲おろしを熱唱したがそれよりも日シリ出場の方がデカかった

ジョーシンで無限に流れる六甲おろし、関連企業のみならず、地元の飲食店では勝手に阪神優勝、日本一記念セールをしたり、ある人のトークショーで梅田のライブハウスに行った際は、例の道頓堀に華麗にダイブする人の写真がトイレのドアの壁に貼られてたりと、関西中がお祭り騒ぎで熱狂していた。

当時の阪急OASIS、イズミヤ系列スーパーのチラシ。
2000円以上購入するとトラッキー達描かれたのクリアファイルも貰えた。


一方で、私のTwitterで繋がってる人やよくやり取りしていた人にはよりにもよって名古屋人が多く、不調の中日を嘆いていた。

そこで初めて中日の現状を知り、令和の米騒動など知らぬ間に非常にカオスな出来事が次々起きていたことから、次第に中日に惹かれていった。

その年の2月に名古屋に訪れていて、地下鉄でナゴヤドーム前矢田を通過したので、素晴らしい放送も知らぬ間に聞いていたかもしれない。多分その時はキャンプシーズンなので無かっただろう。


同時に球団マスコットの魅力も知り、結果的にそちらメインとなってしまったが、中日の選手一覧をサイトで見ると見覚えのある名前があった。

50 清水達也投手

…まさかこういう経緯であなたの名前を再び見るとは…

しかも中日の一軍で投手としてバリバリに出場している。

私は2024年シーズンが開幕してから、6回は中日の絡んだ試合を現地で観ているので、6回は彼の姿を生で見たことになる。
そして来月、神宮にて再び投手の方の清水達也の投球を見るかもしれない。

…ドアラのタオルよりも先に清水達也のタオルを買っといた方が良いかもしれない。


こんな伏線、運命的な繋がりがあるとは。やはり人生は面白いと思った。
そして結局どこのファンなの?この人。

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