「Winning Alone(ウィニング・アローン)」第2章感想②

以前から読み進めている『ウィニング・アローン』の続き。
この「言葉について」のセクションは、本書の中でも特に感じることが多かったです。

「言葉について」

本セクションでは、インタビューなどを介した世間に対するメッセージという意味の「言葉」ではなく、「アスリートの世界の中で使われる言葉」にフォーカスして、言語化の重要性を説明している。
好調のときや出始めのころは、フィジカルやセンスを用いて切り抜けられるが、肝心なのはつまずいたとき普段の行動などが言語化できていない場合に、内側に課題を抱えてしまう、スランプやイップスに陥ってしまうことを指摘している。

そして、言語化ができない人、ぼやけた言葉を使う人について、その人のトレーニングの目的もまた やはりぼやけているとしている。
これは職場での自分にも刺さる言葉だ。結局のところ知識の蓄えとしての勉強は必要だというのと、言語化の習慣もまた必要で、それは目的や目標設定の質にも影響があるということは、4章でも紹介されている。

言葉を洗練させるには、読むか聞くか書くか話すか考えるしかない。どんなジャンルでもいいから本を一〇〇冊も読めば言葉は変わってくる。できればどう感じたかを人に話したり、書いたりしてみるといい。

「言葉について」

まず量をこなせば当たり前の感覚が形成される…ような主張になるのはアスリートならではな気もするが、結局は読書という実践も必要なことなのだと思う。
そういえば今月は何冊読んだのだろう?読みかけも多いけど、あらためて数えてみます。

本心を言語化する

ここまでは、「いま・ここ」の状態を言語化できることが大事であるということだった。
加えて、本心を言語化できる力もまた必要としている。借り物の言葉だらけになってしまうからだ。

言葉の話でいえば、人間は羨ましいという感情を「あいつは大したことがない」という言葉に変えてしまうことがある。プライドの高さから羨ましいと感じていることを認められないので、違う言葉でごまかす。それでも自分でわかっていてやっていればまだ問題はないが、長い間自分をごまかし続けるといつの間にか自分でも本当の自分の感情がわからなくなる。このように本心を何かでごまかしてきた人は自分の言葉で語れなくなってしまう。隠すことに慣れ過ぎて本当の気持ちを吐露することができなくなるからだ。

「言葉について」

自分が感じたことがらに対して、自分の言葉を捻出できているだろうか
すごくシンプルな課題だけれど、現代においてはすごく重いもののようにも思える。

なお私は、自分の言葉を対外に必ずしも発する必要はないと考える。まずは発現した感情を認識してから、それを分解したり調べたりする、咀嚼とか料理してから世間に出すべきだと思う。
加工が溢れかえった現代では、即席の生の剥き出しの感情に価値を見出されるかもしれない。けれども、全てへの反応がそうである必要は無いし、前提知識が薄いことに対して反射的に動くことの危険性を認識するべきだと思う。
あとは、「自分の言葉」を吐露してもリスクが低いような、信頼のおける知人やパートナーとの関係を築くことも大事なのだろうなと、改めて感じた。

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