『伝わる・揺さぶる! 文章を書く』感想

おすすめされた本を読んでいきます。
「文章を書く」というハウツー本ではありますが、その前提として文章を書く際の「お願い」やメッセージ性・説得力をどのようにもたせるか各章で書かれているのが印象的で、対人の課題解決プロセスとしても参考になりそうです。未読了ですが、印象的なセクションについて書きます。

何のために

第2章「7つの要件の思考法」より。
本書では入試小論文に臨む受験生からの質問・相談などを題材に挙げながら紹介されています。全体をとおしてテクニックを伝えるだけでなく、あまり介入しないよう気を付けながらも相手に気づきを与える手法は、第1章を読んでみるとハッとするものがあるのかなと。こちらも後日記載できればと思います。

何のために書くか?

そんななかで、セクションのひとつ「望む結果」と題して機能する文章を書くには「何のために書くか?」を意識しなければならないとしています。このセクションを読んでいて感じたことがあります。

本書の事例では受験の詳細な項目についての質問を相談され、それに呼応して細かく調べたものの断言はできない…という状況になった際に、相手が本当に欲しかったものは「安心」だったのだと気づきます。その目的が見えてきたため、回答として相手に「安心」という価値を提供できるようなメッセージを検討していきます。
コミュニケーションのノウハウとか、『顧客が本当に必要だったもの』の話のようだなと感じ、文章についても書き手と読者との対話なんだからそうだよなと再認識できた内容でした。結局この事例では文書ではなく電話で回答しており、必要に応じて伝え方を選択しているのもよいなと感じました。

文字数を誇らない?

noteをはじめとして、自分の記事にどれだけ熱量を込められたかのバロメータとして「文字数」があります。オタクのnoteだと文字数これだけ書いたぞ!だから見てね!みたいな言い方も多くて、なんだか不思議な気持ちを抱いていました。
このセクションを読んで、これは真に「何のために?」を追求できているのか、本当に伝えたいことがぼやけてしまっていないか?と不安になっていたのだな、とひとつ思考を整理できたのかなと感じています。
想定する読み手とそれが求めている情報が明確であれば、自ずと文章は洗練されて簡潔なものが生まれるのではないかと考えています。

一方で、集団においてハイコンテクストが前提となる場合には簡潔さよりも詳細な情報を漏らさず記載する必要があるなど、想定する読み手とそれが求めている情報が明確であれば、たくさん書くことは良いことにもつながるのかもな、とも思いました。あるいは二郎系のように、特大ボリュームの文章を読ませることも魅力につながるのかも。
問題は、広い読み手に届くnoteという媒体であればこうした考えがどこまで通じるのかという話です。そこらへんも加味して文章が作成できればよさそうですね。

ビジネスであれば、「簡潔に」「相手の意図を汲む」方向で間違いないと思います。ただ、いまの自分のnoteみたいな、自分の思考の整理がまずあって、それをどこに伝えたいのか不明瞭なものである場合、あらためて目的を設定して感想とかを書いた方がよいなと思っています。
別に読んだ本を売り込みたいわけではないですしね。

ファスト映画

ふと思ったのですが、一時期話題に挙がり撲滅された「ファスト映画」は、「アウトプット」としてみると楽しかったのではないかと考えます。
…もちろん素材として映画の映像を無断で使用している時点でアウトではありますが。

さくっと映画を観たい、ダイジェストを楽しみたいという需要が消費者の根底にはあって、それに対応できる媒体を編集して紹介する…という流れ自体は悪くないアイデアかなと。それ以降、映画の公開の日にちが経つにつれ、公式側が情報を少しずつ提供していくことも見かけますし、正当な手段でこうした発信が起こるきっかけにはなったんじゃないかなと感じています。
いままでは「ネタバレ厳禁」のような、秘匿性があってナンボみたいな雰囲気だったので、それが変容しているのかもしれません。

そのダイジェストをどう伝えるか、エンターテインメントとして何が求められているかを察知して編集する作業はとても楽しいんじゃないかな、という話でした。
オリジナルの映像の作り手が意図した間合いや時間をそのまま鑑賞として楽しむのが映画の醍醐味、と私は思っています。ただ、情報を共有する際には簡略化や簡潔さが求められる…。本書の内容にもすこし掠るような事柄だったのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?