「学問のすすめ」第六編 感想

この章とかは、13ページぐらいしかないのに今でも響くものがあって流石名著って感じがします。そんな「第六編 法とは何か」です。

私刑を否定する

国民は政府と約束を交わして法律を作る権利を政府に任せているため、このルールを超えて国民自らが他人を裁くこと、「私裁(=私刑、リンチ)」はしてはならないとしている。その極端な例が「暗殺」であること、それが世の中の幸福を増やすことは無いとしている。

私人警察とか、襲撃事件なんかは現代でも話題になってしまった事柄で、それは法への信頼、つながりが薄れてしまっていたことが背景だろうと考える。個人が復讐とか運動することは否定されるべきでも、例えば個人が組織内の不正を通報・相談できる「通報制度」も登場しており、自身を守るための行動範囲をルールが広げてくれている。そのルールの存在を知る方法…アンテナや繋がりは生存するうえでどうしても必要になりそうだ。
悪い方向に進んだ結果の暴力は、考えを放棄(せざるを得ない)する解決行動か、あるいは何も考えない結果なのか。承認欲求を満たす装置が登場している現代では、それがまた話をややこしくさせているのかもしれない。

本章では「法治主義」「法治国家」を前提とした主張が繰り広げられるのも印象的で、福沢諭吉でもやむなく法に従う事例が挙げられている。
立場的に法や政府を守る側でも、文面ではけっこう不満そうなのが面白い。
それでも、国民と政府との約束を守っていきましょう、という構図は誰にでも伝わるような表現方法なのだと感じた。


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