『伝わる・揺さぶる! 文章を書く』感想②

断片的に読み進めていて、自分の考えの整理のために今日もこの本の感想です。

アレは会議なのか?

第3章「伝わる・揺さぶる!文章の書き方」より、実践のセクション「議事録を書く」を読んでいて浮かび出たモノを書いていきます。なお、本セクションの本筋とは外れています

働いていると「会議」というものに参加しますが、「あの会議は、会議って名前の付いた『報告会』だったな」と思うことがよくあります。自分は(そして大多数の参加者は)オブザーバーで、別に議論を交わすこともなく報告を受けて次回の日程を知っておわり、みたいな。「主体性が無い!」とかいうレベルですらない。
報告内容の良し悪しは置いといて、そんな「会議」では大して集中できていないなと、本セクションを読んでいて改めて感じたのです。

というのも、終わった後に議事録が配布されて、それも決定事項は無いので事項の羅列になっており、究極的にはその議事録だけ読んでいれば(口頭じゃないと理解できないことをのぞけば)OKになってしまう。
こうしたものを、他の人に伝達する立場にもなるのですが、それってただの伝言ゲームだよな…となりイマイチ乗り切れない自分がいることを認識できました。

報告会にどう向き合う?

「報告会 進め方」とかでググっても、「会議の進め方は?」みたいなネット記事に呑み込まれてしまうのが興味深いと感じました。世間ではこういう「報告会」と接して、どのように向かい合っているのか気になりました。「会議」としては失格かもしれないこの「報告会」ですが、その機会・報告内容自体は重要なものもあるので議論の場に捻じ曲げちゃおうとはならないとは思っています。

またこれを「会議」と勘違いしていると、ファシリテーションとか色々勉強して実践してもうまく行かず(会議じゃないですからね)、躓きを感じてしまうのももったいないことだなと感じています。決定事項とか要点もなかなかつかみづらいので、議事録だって取るのも大変そうです。

なので、本セクションを読んで、「議事録を書く」に値する「会議」になっていないこの「報告会」をどのように向き合うべきか、意識しておかないといけない。もちろん有意義な会議は別ではあるのですが、そうじゃない報告会との区分けは行うべきと感じました。

また「自分のためか」「他の人のためか」を意識してインプットするべきとも思います。そうでないと本当にふんわりと聞いて流れてしまうという実感があるので、まずはそういった目的意識からはじめられたらと思いました。そこからやるべきこと、ノルマも定まってモチベーションとか義務感が強くなればいいかな~と。

なんにせよ、会議って名前の付いた『報告会』、けっこうあるんじゃないかと思います。それに対して改善を行う際に「会議」のノウハウを取り入れても暖簾に腕押しな可能性があるので、ちょっと引いた視点でそのイベントを見つめたほうがいいかもしれません。

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