夜明けのすべて

珍しく原作を読んだことある映画を見た。
普段は原作を知ってから映像作品を観てしまうと、自分の頭の中で描いていた光景と乖離していたり、作品の道筋が違うことに耐えられずイライラしてしまうため、観ないように心がけている。
しかし、今作は当初の予定では先に映画を観る予定だったのだが、
公開していた時期があまりにも忙しく、劇場で観ることが叶わなかったのだ。そのため、映画を観ることを諦めて書籍を読んだ。元々「瀬尾まいこ」先生の他の作品を読んだことがあったが、今までで一番と言って良いほど好きな作品だった。
(書籍について語ると長くなるため、改めて感想についてのnoteを書こうと思う。)

前提がかなり長くなってしまったが、映画の感想としては最高であるとしか言いようがない。陳腐な言葉に聞こえるかもしれないが、一つ一つ語るとかなり長くなるので、一言でまとめると最高だったになってしまうのだ。

まず、確かに原作からの変更はあった。
開始当初は「やはり無理かもしれない…」と眉を顰めながら見ていたのだが、物語が進むにつれ、馴染むと言うよりかは穏やかな気持ちで受け入れることができるようになるのだ。

原作との相違点全てについて話すと何文字になるかわからないので、いくつかに焦点を当てて話したいと思う。

一点目は登場人物をより深掘りしていると言う点だ。
原作では、藤沢さんと山添くんを中心として主に二人だけの世界で話が進んでいるように感じていた。しかし、映画では、より周辺の人物に対して焦点を当てていた。例えば山添くんの上司、恋人、住川さんのお子さんの会社見学、藤沢さんの友人など一人一人の事情がより垣間見えたように感じた。これは映像作品ならではの描写から事情を無意識に察する心理を利用したものだと思う。藤沢さん、山添くんだけではなくそれぞれに人生があり、この映画で映しているのは、そのほんの一瞬でしかないのだ。栗田科学やその社員の人たちが私たちと同じ世界で今も生きているのではないかと思わず、錯覚してしまう。私は映像作品が私たちの生活の延長線上にあると思わせてくれる作品が大好物なため、とても、とても刺さった。

二点目は自転車と買い物袋の描写だ。
原作を読んでいた人はここで「おや?」と感じる人が多かったのではないだろうか。私も最初は違和感を感じていた。個人的には、自転車は山添くんが
日常へと視野を広げることができた象徴の一つだと考えていたからだ。
また、藤沢さんの入院もそのきっかけの一つであると。
しかし、映画では、より藤沢さんの日常に近い体調不良として描いた。それは大きな事件がないとしても誰かをそっと支えることができるという意図かもしれない。最初に山添くんが調子が良くない際に「返すのはいつでもいい」と渡した買い物袋が、自分が不調の際に返ってくる。恩着せがましく何かを言うわけでもなく、過剰に寄り添うわけでもない。この心地よい距離感がどれだけありがたいことか。

三点目は藤沢さんの今後についてだ。
映画では、より「変わらないものはない」と言う点にこだわって作品を作成しているように感じた。だからこそ藤沢さんと山添くんがどこにいようと、それぞれをふとした瞬間に思い出すような関係性に収めたのだろう原作では一切描写のないプラネタリウムをぶち込むチャレンジ精神。しかし、この展開もまたありだと、この登場人物たちならばありそうだと感じさせるのはまさしく脚本家さんと監督さんの腕だろう。

さて、色々と語ったが「今作でもっとも好きなシーンは?」と聞かれれば私は迷うことなく、PMSでイライラした藤沢さんがクリップごと洗濯物を外したシーンだと答えるだろう。実際に私もやったことがあるし、それで何度洗濯物干しをダメにしたことか。もちろんプラネタリウムのシーンも好きなのだが、こればかしは譲れない。細部の細部までこだわりぬいた作品にまんまと引っかかったということだ。

この映画には偉そうに名言っぽいことを話す登場人物はいない。
劇的な事件もなければ、自分の悲劇を聞いてもいないのに語り出すような人もいない。ただ穏やかに生きる人たちの生活を切り取っただけなのだ。
でもきっと、毎日を生きる、少しだけ何かが苦しい人たちに寄り添って、話を聞いてくれるような作品だ。

「夜明け前が一番暗い。」
だからこそ見える景色がある。
そのことをふとした瞬間に思い出して、変わり続ける日々を生きるのだろう。

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