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タテガキ・フィクション

 俺の趣味は横書きの文章を縦書きに変えることだ。横書きのネットマガジンを読み漁り、ぐっときたテキストをコピーし編集、縦書きの体裁に整えて印刷。
 もう一度書くが趣味だ。個人の楽しみだ。なんの儲けも栄誉もない。
 だがこれが堪らない。火星鮃の煮付なんてカンジのいいレシピが縦書きにビシリとハマると、ブルスク級の恍惚に浸れる。
「そんな趣味に時間を費やすより、『本』を読んだ方がお金になるわよォ」
 マツバラが爪を磨きながら言う。雇用主の俺を敬うそぶり皆無のベテラン事務員だ。
 お前だって趣味で「女言葉」を愛好してるだろうが。浮かんだ悪罵を飲み込み、努めて平坦に返す。
「この無償の時間が、より良い仕事の為に必要なんだ。酒飲みのチェイサーみたいに」
「下戸の癖に」と肩を竦める事務員の前、黒樫机の上には宝石人皮装丁の分厚い物体。
 洒落臭い左綴じに洒落臭い横書き題字のこれこそが、俺がいま挑むべき『本』だった。

【続く】

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