私が自家用車社会ならびに自家用車を好む思考に対し倦厭している理由は、「他者」と「無駄」に対するふんわりとした拒絶を感じているからに他ならない。もちろん道路は公共空間でしかないのだが、消極的利用者とは一線を画した傾向を感じざるを得ない。

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