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ライオンの魚釣り。

最近よく考える。

個人の能力は、その人が最適な環境にいることで初めて花ひらくものなんだよなと。


たとえばここに百獣の王ライオンがいる。立派なたてがみは勇ましく、サバンナを駆け抜ける筋肉と、獲物をとらえて離さないツメとキバをもっている。

このライオンを海に放り込んで、「さあ!アジをとってらっしゃい!」と言う。ライオンは泳ぎが苦手で、ゴボゴボと溺れてしまう。それに、サンマとアジの違いすらわからない。死に物狂いでおぼれながらとった魚がサンマで、「結果が出せていない」「なんて何もできない獣なんだ」という評価をくだされる。「あっちのカモメの方がよっぽど頑張ってるよ」てなことすら言われるかもしれない。「そのたてがみが水を吸うから泳げないんじゃないか?」「その筋肉がダメなんじゃない?」と指導がはいる場合もある。

何もできない獣となったライオンが、次にさせられることが、釣りだったりする。「泳げないのはわかったから、勉強して釣具の使い方を覚えて」と言われる。ライオンは、ツメが邪魔だなあと思いながら釣具の使い方を覚え、海辺で釣りをする。


わかりやすい気がしたので、ライオンに例えてみた。ライオンだと「そんなアホな」と思うかもしれないけど、こういう状況って意外と多いんじゃないか。あの人が活きる場所はここじゃないんじゃないかなあ、あの人はこういうことやると活き活きする気がするなあ。一度や二度くらいは、そんなふうに感じたことがあるのでは。

当然、その人は何か事情があってそこにいる可能性もある。サバンナの虫アレルギーで、海に来たライオンかもしれないし、その場合、ライオンにとって「釣り」はめちゃめちゃ必要なスキルとなる。なんなら救いだったりする。しかしそうでない場合、ライオンは飼い殺し状態だ。

ここで理想なのは、その人を適所に連れていくことだ。つまり、ライオンだったら、サバンナに連れてってあげること。でも、海環境の雰囲気では、連れてってくれる人はおろか、それを良しと言ってくれる人もいない。むしろ良かれと「サバンナなんて、絶対危ないよ。」「海で何もできなかった君が、サバンナで生きていけるわけない。」と言われたりする。

大事なのは、ライオン自身が気づくこと。サバンナを諦めないこと。サバンナのための準備を進めること。そして、サバンナへの一歩を踏み出すこと、なんだと思う。適所への道は、自分で切り開くしかない。海環境の人たちに、「あいつはサバンナだったんだな」と気づかせるには、実際にサバンナに行くしか方法はないのだ。


「適材適所」の別のことわざとして、「ライオンの魚釣り」ってどうかしら、と思って書いたnoteだった。逆に、よくわかんないか。

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