スグリと力(ポケモンsv DLC)

本当は後編公開後すぐに書こうと思っていたのだが、普通に気づけば1月の後半戦に入っている。なんでだ??? というのはさておき、普通にポケモンsv DLC「ゼロの秘宝」の後編、藍の円盤の話をしようと思う。

内容としてはタイトル通りスグリと力の話、ポケモンsv本編およびDLC前編の話はもちろん、それ以前の想像の話を軸にする感想であり、考察の類ではないので嫌な方はおかえりください。

まず前提として、後編を始めたときに一番思ったのが、成果主義のことだった。「なんでそんなことを?」と思うだろうが、ちょうど後編配信の少し前のあたりまでリアルの都合上こういうことを考えていたので、完全にいろいろと引っ張られている。
特にvsスグリの時の勝利後のシーンが一番きつかった。本編でのテーブルシティで行ったvsネモとの対比もあって本当にきつかった。ここで、「こんな環境なら、スグリが力を求めるのも当然か……」と思ったのだが、もっと根深いものだったのではないか途中で気づいた。

おそらくだが、スグリはキタカミの里で生まれ育った。その隣には常にゼイユの存在もあっただろう。ということと、あの姉弟の力関係は一度も覆ったことなどないであろうことを前提にすると、スグリが力を求めることそのものは主人公に影響されてのことではないのだろうということだ。

気の強い兄弟、姉妹と一緒だと、なんだかんだで取り分が減ることもある。ゼイユとスグリはそういう姉弟だったのではないか。お菓子にしてもおもちゃにしても、なんでもだ。「兄、姉だからしっかりしなさい」論調ももちろんあるが、そこで言い返せそうなゼイユと結局ゼイユに言い負かされるスグリとではいろいろと感じ方も違うだろう。
だから、スグリにとって最初の「物語の主人公」はゼイユだったのではないだろうか。スグリよりも先に自分のポケモンを手に入れたかもしれないし、先に一人で前を行く存在だったかもしれない。
さらに、ポケモンという強い存在がいなければ、移動もままならない場所だ。先にゼイユだけがポケモンを手に入れたのだとすれば、自由にどこへでも行けるゼイユに対して、スグリは家にいたのかもしれない。
そして、その最初の「物語の主人公」はいろんな意味で「強くて力がある存在」だった。スグリはそういう存在に惹かれた。それが「オーガポン」なのではないだろうか。

おにさまは、語られた伝承の中では主人公でないが、スグリにとっては最終的に勝ったともっこ三匹よりも、1vs3の戦いができるような鬼様の方が「主人公」だった。

というのが、キタカミの里でのスグリの物語だったのだろう。そして、さらにある程度の年齢になってブルーベリー学園に入学したとなれば、さらに力に対しての価値観は強固なものになっていった。

最初の「主人公」のゼイユには友達もいる。ブルーベリー学園はバトル特化の学校で、強いやつが認められる。一方で入学~林間学校までのスグリは、引っ込み思案な性格で友達にはあまり恵まれなかっただろうし(ゼイユ・ネリネのようにスグリに友人がいれば明確にネームドキャラとして登場すると思う)、バトルで成果をあげているわけでもないから、他者からの評価もさほどだっただろう。評価に関しては、性格が変わったことに対しての発言が多いこと、カキツバタが「もっと楽しそうにバトルをしていた」(意訳)なので、もともとの彼はそれなりの順位でバトルを楽しんでいたのだと思う。
こうしてさらに根っこの部分では力を求めながらも、ポケモンが好きでバトルを楽しむ普通の少年のスグリは育っていったのだろう。

そして、林間学校で主人公に出会ってしまった。
そして後の物語は「ゼロの秘宝」で語られた通りである。

「俺は……
 主人公が うらやましい……!
 ポケモン 強くて!
 どこへでも 行けて!
 誰とでも なかよく できて!!
 俺が ずっと 好きだった
 オーガポンにも 認められて……!」

「スグも がんばったじゃん!」

「ねーちゃんだって!!
 最初 イジワル してたくせに!
 すぐ 主人公のこと 好きだし!」

「それは……」

「俺には…… 何も ないよ」

エリアゼロ最深部での会話(一部)

以上、スグリと力の話である。
なんだかんだ最深部での会話を改めて読むと、どこへでも行ける、誰とでも仲良くできる、はそれぞれキタカミの里、ブルーベリー学園での話かもしれない。オーガポンの話は直接主人公にぶつけているが、ゼイユが主人公と
仲良くなったことはゼイユ本人にぶつけているのは、主人公がゼイユを奪ったことよりも、ゼイユがスグリをのけものにしたことに腹を立てているのかもしれない。

まあ、結局のところ、本心はスグリしか知らないので、この辺にしておこうと思う。


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