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月組「ブエノスアイレスの風」感想① 全体のこと

日本青年館の風に吹かれて来ました。

いやー。もー、いやー。
初日からの評判も良く、そこそこ期待しながら行きましたが、

今後がめっっちゃくちゃ楽しみだなー!!!

と、ほっくほくの気分になって帰ってきました。
全部が手放しでたのしかったー!!みたいな感じにはどうしてもなれなかったんですが、でもね。今までなかったものがたくさん見られる期待で胸が楽しくいっぱいになりました。
私は今回が月組さんはじめましてだったので、雪組とのカラーの違い、とでもいえばいいのか、そんなところもとても新鮮でした。
当方望海さん→あみちゃん(彩海せらさん)の系譜でのんびり追いかけているオタクなので、個人の備忘録として大変あみちゃんに偏った感想をつづっていこうかと思います、が。

そのまえにまず。
全体に関する話を、しておこうかなと思います。

ポスター

先行画像はフーン…という感じだったんですが、
ポスター、なんというか、いっっろんなところから、あふれ出る昭和感。B級映画感。(婉曲表現)
…正直ちょっと、いやそこそこがっかりしたんですよポスター出たとき。この現代に、そのポスターで本当に客を掴めると思っているのかと。本気かと。
初演から妙な影はずっとついて回っている、という話を聞きましたが、いや拘るべきは…そこでは、ないのでは…。
誰かちゃんと指摘してあげて…。
れっつあっぷでーと…。

本編の演出

というところから個人的な印象が始まったので、皆様の好評を聞きつつも大丈夫かなとそっと思ってたりしたんですが。
予想していたより随分楽しめました。
この演目自体も堪能できたし、これを経ての未来がものすごく楽しみになりました!

◎演技

とにかくもまず。
みなさんの演技が、とても良かった!
そして「各々ハマっていた」。
と思う。

私は上述した通り今回が月組さんはじめましてなので、あまり細かいことを存じ上げないのですが、
暁さんニコラスと風間さんリカルドの「なにかあった」感、とてもよかったですね。
「それぞれの過去にひりつく何か」の存在が、なんとなくですが、ちゃんと見えた。
ひりつくような過去の存在と、そこに囚われて動けない男たち、
そして、それに巻き込まれて悲喜こもごもを味あわされる女たち。
そういうお話なのだろうと思うので。
「明日は、まだ変わらない」
そういう無常の、日々の話なのかなという印象を受けているので。

◎見易さ

もう何よりほっとしたのが、演出から演者たちへのハラスメントがなかったこと。
無神経さが見えなかったこと。
演出上の意図以外の部分でイライラしなくてよかったので、ほんとうに、とても見易かったです。
雪組公演に2連続でモヤついていたところだったので、なんかもう、ホッとしました。
演出側が特に意識しようともしてないところが大変不快感でそこから絶対に目を背けずにいられなかったの、観客が不快に思うことを想定しようともしていない意識のなさ、価値観の停滞っぷりがホント、多方面にものすごくつらかったので…。

別にね、悪いものを書くなって意味ではないんですよ。
「現代の価値観から見て否となるものは、最終的に、肯定されない方向に回るように描いてほしい」んです。放置しないで欲しい。
本作でも無意味な暴力はあちこち転がっているし、誰かが絶対的に正しいことができている、わけでもない。あとはそれこそたとえばビセンテなんて本人無自覚タイプな(あの時代であれば「ごく普通の」)モラハラ男。
でも彼は「演出上で意図された棘」だからな。
私は苦手なので2回目以降はどうしても直視できなかったんですが、でも、作品としては必要な棘ですよ。絶対に。
彼が紳士ないいやつだったら、柔軟な対応ができるイイオトコだったら、うまく劇中のヘイトが彼へ向けられなくなって、作劇的に見づらくなってしまう。
それが見ていればちゃんとわかるから、モヤモヤイライラしなくてよくて、ストレスフリー。
いや、ホント、ありがたい。
ありがたいって思わなくてよくなってほしい。

◎カテコ

月組初見の私が見てもわかる、めちゃめちゃな かわいさ!
日替わり挨拶を頑張る暁さんと、それを見守る月組子という構図が、とてもいい。暁さんのご挨拶が常になんだか迷走気味なのも、きっとファンの方には…たまらんだろうな…!?と思いながら、私もまた笑顔で拝見させてもらっております。
そして組替え後初公演なあみちゃんを、すごく暁さんが気にかけてくださっているのが、本当にありがたい!
カテコレポ見てると結構な頻度であみちゃんのことに触れてくださっていて、それに対するあみちゃんの返しも毎回かわいくて、とてもなごむ。かわいいー。
パレードのときに組子が手や指で♡作ったりして、それに暁さんが応えたりする様子もあったりして、かわいい。
本編あんなにひりひりしてるのに、あの場面はめっちゃくちゃ平和。
いいカンパニーなんだろうなあ。

ということで、基本はかなり楽しめています。
楽しんでいます。早く月組のみなさんの顔を覚えなければ…!と思いつつ。

うん。
なんだけども。

気になる点

やっぱり全体的に「古くて暗い」んだよなあという印象はぬぐえないのです。
おもに舞台の使い方、演出のしかたという話で。
「光と闇の間を吹き抜けてゆく」なのに、舞台上の色彩が基本的に暗くて、なんというか、メリハリに欠けるんですよ。
さて誰の何が光で、闇だったのか?と、悪い意味で、疑念が残る。
動きがないんだよな。
いやまあ何も動かない話、ではあるかもしれないけれど。それにしたって。

具体的にあげていってみます。

①オープニング

地味。暗い。そして無言。
しかも舞台上に、大した変化が起こらない時間がやけに長い。
2回見て、もう若干退屈してしまって。これは私がみなさんのお顔が分からず、ゆえに見るところが限定されてしまって変化の楽しみも何もないから、だと思うのですが、うーん。
うーん…。

じゃあ、何をここで提示したらいいかなあ、と思って。
過去に死んでいった仲間たちとの、しあわせな燃える赤い悪夢みたいな場面があってもいいんじゃない?と。ニコラスとリカルドの、結びついた過去の場面。燃えていた瞬間の話が欲しいなあって。素人考えですが。
そういう明らかな場面があれば、リカルドの「その過去」への執着にももっと納得がいったし、「だからこそ、あのなかで、それでも生き残ったのに」の説得力も増したんじゃ…なんて。
下級生たちの顔が見られる時間も増えるしさ。

②テーブルトーク

テーブルトークの場面が。多い。
しかも「同じように並ぶ」「同じように話す」ばっかりで多い。
せっかくのタンゴバーなんだから、なんか、こう、もうちょっと変えない?って思ってた。バリエーションに乏しくて、いつも並びも見え方も同じで、もっと役者を動かしたらいいのになー、と。
ふたりで踊りながら隅で、とか、カウンターにもたれてカウンター内/外で、とかさ。
踊ったあとに飲み物を手に取りながら、立って→座って、とか。
視線を合わせて話し合うって、なにも「テーブルに向かい合って座って」でしかできないもの、では、ないよな…?
どうしてもさ、空気が動かないんだよね。
でも会話自体はストーリーを進めるのに必要で、舞台の「真ん中」にあるべきは会話してるふたりなわけだから、まわりがあんまり目立つわけにもいかないし。
2回目以降、どうしても会話の場面が「長いな…」って思ってしまい、なんか、ちょっと困りました。
私の集中力が足りないだけだと言われれば、まあ否定はできない…すみません…。

③暗転の多用

暗転が多い。多いわりにバリエーションが少ない。
2回目の観劇が2階席後方だったのもあり、あーバミリがよく見えるなーと思いながら眺めていました。
とくに誉められることではない。
工夫が欲しい。
そんなにいっぱい見せられて楽しいものでもないのでね、バミリ。真っ暗の中でバタバタキャストが動く音だけ聞こえてるあの時間、観客にとって、楽しくは、ないからね。

④歩く人びと

なんか、ひたすら登場人物たちが舞台上をあるいてましたね。
妙に印象に残りました。歩く、歩く、歩く、歩み去る。
んー。

たぶん正塚先生の原風景は、スクランブル交差点なんでしょうね。
雑多に人びとの行き交い、互いに触れることもなく、名前すら知らずにその一瞬だけで往き去っていく――。

でも劇中、その交錯に、交差する/しないことに、どういう意味を持たせたかったのかが、どうもいまいちわからない。
あとはその歩行の導線がひたすらまっすぐなの、気になる。上手袖にはけたかと思ったらすぐ同じく上手の後方から戻ってきたり、というのが多くてモヤる。
どういう道路のつくりをしているのだろう…というか。
さっき別の方向に歩いて行かなかったっけ…?って、思ってしまったりして。

いやなんかなかなか難しい話だと思うんですけど、このあたり、そういえば「冬霞の巴里」はすごく巧くやってたんだな、といまさら気づきました。舞台の奥行きを、舞台セットを用いた高低というのも含めてよく使っていたなあと。
うーん、「高低」って、大事なんですね。人物の動きを出しながらも、主役が舞台上からいなくならない、という意味で。
はあ…勉強になります…。

などなどつらつら書いていたら、ほとんどキャストさんのことを何も書かないで3,000字を超えてしまったので!
キャスト編に分けて、続きます。

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