「腰回し」という摩訶不思議なハタラキ

チェコ出身の小説家カフカさんの「家長の心配」のパロディ。息抜きに。

ある人は「コシマワシ」という言葉は、
関西地方で使われていた言葉に同じものがあるので、ある技法の言葉からきているという。
またある人は、コシという言葉が入っているので身体のある部位のハタラキを表す言葉だと。

二つの解釈の不確かなことは、どちらもあたってはいないという結論を下してもきっと正しいのだ、と思わせる。
ことに、そのどちらの解釈によっても言葉の意味が見いだせないのだから、なおさらなことだ。

もちろん、もしコシマワシという名前のものが本当にあるのでなければ、だれだってそのような語源の研究にたずさわりはしないだろう。

まず見たところ、それは水に浮かぶ瓢のようにも見えるし、毛糸玉がくるくる回っているようにも見える。大きいような、それでいて極小でもあるという、全体としてはとらえどころがないが、それはそれなりにまとまっているようでもある。

それにこれに対してはこれ以上くわしくいうことは出来ない。
なぜならば、コシマワシはとても動きやすく、つかまえることができないものだからだ。

それは屋根裏部屋や建物の階段部や廊下や玄関に転々としてとどまる。どきどき、何ヵ月もの間姿が見られない。きっと別な家々に移っていったためなのだ。けれども、やがてかならず私たちの家に戻ってくる。どきどき、私たちがドアを出るとき、これが下の階段の手すりに寄りかかっていると、私たちはこれに言葉をかけたくなる。

「君の名前はなんていうの?」と、私たちはたずねる。

「コシマワシだよ」と、それはいう。

「どこに泊まっているんだい」

「泊まるとこなんてきまってないやい」と、それはいって、笑う。

これでたいてい対話は終わってしまう。それに、こうした返事さえいつでももらえるとはきまっていない。しばしばそれは長いこと黙りこくっている。

それがこれからどうなるだろうと、私は自分にたずねてみるのだか、何の回答も出てこない。

以上。

要は四角四面にならないように。

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