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2020/06/03

今日は流石に外に出なきゃまずいと思った。とはいえ特に行くアテも無かったが、とりあえず授業をささっと終わらせたのが昼前。そこから昼飯を作って食べた。

これはライフハックだが、山芋や長芋を適当に切って山葵醤油で和えて、ご飯にかけると美味しい。ここに生卵を落とし、かつお節を乗せるのが良い。これに適当に昨日の晩飯の余り物を暖めれば、昼飯としては十分すぎるほどに満足できる。

で、お気に入りのCDを聴きながら本を読む優雅な午後を過ごしていた。しかしこのままでは今日もまた外出しないままに終わってしまう。時計の短針が3に近付くのを見ていると、なんだか甘いものが食べたくなった。ふらりと家を出てコンビニに向かう。

家から最も近いコンビニ、セブンイレブンの前を通りすぎた。この店は何故かよく分からないが、定期的に黒霧島を仕入れては売っている。是非とも僕も呑んでみたいものだ。未成年なこの体が恨めしくて仕方無い。素通りしたのはただの気紛れで、今日の僕はなんとなくもう少し歩きたい気分だったのだ。

馴染みのお茶っ葉屋の前を通過し、潰れた本屋の前を歩き、人気のない裏路地を抜け、僕は家から2番目に近いコンビニへと辿り着いた。このコンビニは名前をセブンイレブンという。ちなみに3番目の名前も同じである。

さっき最初のセブンイレブンを通り抜けた理由を気紛れと書いたが、これは少し嘘である。というのも、最初の文から察するだろうが最近自炊が億劫になってきた。昨今のコンビニは質の良い料理を提供してくれるので困ってしまう。僕は料理を作る必要が無い。授業の合間にコンビニへ昼飯を買いに来るのは、もはや最近の僕のルーティンですらある(昨日はそれすらしたくないほど疲れていた)。だからこそ、店員に顔を覚えられてそうなのを少し気に病むのである。

どうせ近所のコンビニなどどこへ行っても知り合いがバイトしている。彼らはお互いの店に誰が訪れたかなんて情報は当然、世間話の一つとして共有している。であれば、ずっと同じ店に通い続けるのも店をコロコロ変えるのも大差は無い。実際には僕の話なんざする暇もなく彼らは忙しいのであろうが、それでも気になってしまう。自意識過剰すぎてなにやら悲しくなる。それでも一応、同じ店に通い詰めるのは避けたかった。至極どうでもいい、取るに足らない些事のような思考である。

そうして辿り着いたセブンイレブンで、僕はドーナツを購入した。家に帰ってお湯を沸かし、紅茶を淹れれば丁度15時頃であろう。伊弉諾物質を聴きながらティータイムと洒落込もうではないか。ウキウキしながらレジに商品を置いた。流石に財布が無いとかそういうオチは無かった。当たり前だ。

帰り道また路地を歩いていたら、小学生の喜ぶような言語化しがたい声が聴こえてきた。声の発信源につい目が向く。小学生低学年くらいと思われる男女2人が、家の庭のプールで遊んでいた。兄妹のように見える。あるいは双子なのかもしれない。いずれにせよ、プールという題材はタイムリーだった。

そうかもうそんな季節なのか、と感慨深くなってしまった。僕の脳内時計は未だに学校が休みになった冬と春の隙間に取り残されたままだが、世界は今も進み続けているらしい。気付けばもう風待月である。今日はやたら暑くて生ぬるい風が吹いている。こんな風は待っていない。もっと涼やかで爽やかな風を吹かせておくれ。夏が始まる前に。

梅雨が終われば夏が始まる。生憎今年の夏は例年通りに楽しめそうもない。僕にとってこの夏は学生最後の夏であるというのに。高校生特有の甘酸っぱいような青春は、どうやら今年の僕には無縁のようだ。風情もへったくれもあったものではない。

生ぬるい6月の風を浴びながら路地を行く。相変わらず小学生兄妹の楽しげな声が聴こえてくる。僕もその位の年の頃は、夏が本当に待ち遠しかった。誕生日もあるし、お祭りや海に行くのも好きだった。それが今ではコンビニに行くのすら億劫になってしまったのだから、つくづく成長とは非情なものだ。

やっぱりこっちのコンビニまでわざわざ来るべきでは無かったな、と思った。未だに続く筋肉痛は、今日も僕の足を引っ張っている。

以上。2020年6月3日、24時35分。

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