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2020/09/24

昨日あった事の話。

ここに書いた通り、最初は花火をする予定だった。だが非情な台風の接近によりそれは不可能となり、結果的には飯を食べに行った。

夕方、近所のショッピングモールで待ち合わせをした。地元で遊ぶのがあまりにも久々すぎて、ショッピングモールまでの所要時間の目測を誤ってしまう。時間ギリギリに到着し、ほどなく友人と合流する。

この友人は中学の同級生であり、世に言う「いつメン」であった。お互いにテニス部に所属していたし、クラスも同じになったりして、当時もよく話していた記憶がある。

ちなみに、僕のTwitterをしっかり見ている暇な人だと、彼女のアカウントも容易に分かる事だろう。彼女とはずっとフォローし合っていて、常日頃から空リプを飛ばしている。

それともう一人、こちらは彼女の高校の友人である。僕と直接の関係は無いのだが、ひょんなキッカケで去年にも顔を合わせている。

色々とモール内の店を巡った。服や雑貨なんかを店頭で見て、可愛いなんてやり取りをするのはいつ振りだろう。あまりに久しく離れてしまっていた気がして、悲しくなる。

夕飯はフードコートで食べた。僕はかねてから食べたいと思っていた長崎ちゃんぽんの店を発見して、早速麺大盛りセットを注文。

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意気揚々と麺を1.5倍にしたのだが、悲しいことに昨日はこの時までほとんど物を食べていなかった。起きたら昼だった上に、昼飯には稲庭うどんを軽く食べただけだった為だ。本当に、アレは胃袋が眠っていたと形容するのが正しいと思う。途中までマジで食うのが遅かった。味はめちゃくちゃ美味かったがな!

そっからもしばらくモールを彷徨いて、百均でハロウィンっぽい装飾品を見つけるなどして楽しんだ。僕は去年のハロウィンに興味本位で渋谷に行って、もみくちゃにされたっけ。渋谷は好きだが、バカ騒ぎが始まってしまえば収拾の付かない町だと思う。

一通り見てから解散の流れになって、友人さんは家が僕らとは逆方向なもんで、颯爽と自転車に跨がって帰っていった。

僕と同級生は、お互いの身の上話とでも言うべき事を語らった。今まで誰にも言わなかった事を、彼女にはすんなりと言えた。何も隠していた訳では無かったが、わざわざ言うような代物でも無かったから、スルッとその話をした自分に少しビックリした。彼女はいつもとても真剣に僕の話を聞いてくれて、僕にはそれがこの上なく心地よい。

つらつらと自分の話をして、彼女の話を聞いて、また自分の話をする。そんな繰り返しの中、ふとしたタイミングで引っ越しの話になった。僕が近々引っ越す予定である事を伝えたら、悲しくなるね、引っ越してからも会おうねと言ってもらえた。僕も阿呆じゃないから、それがちゃんと心のこもった言葉なんだなって思って、その時は涙が出そうだった。

中学を卒業してから、遠くの高校に通っている僕は地元の友達との関わりが薄れている。でもこれは、単に僕が友達の少ない悲しい人間だったという話でもない。中学の頃こそ、よく話す奴、よく遊ぶ相手というのは、むしろ今より多く居たかもしれない。

彼らは卒業の時、僕に言うのだ。「卒業してからも遊ぼうね」「また連絡するね」などと、口先では惜しむような事を言う。

アレから2年と半分が経とうとしている。連絡をしてくる奴なんざろくに居やしない。所詮はその程度のものだ。それなりに話してた相手だから社交辞令を振り撒く。高校に入ってしまえばまた新しい人間関係が構築されて、そこに僕の介在する余地はない。

今だってそうだ。地元の友達や後輩に、近々引っ越すと伝えれば「寂しくなるね」と言ってくるが、それは真実としてその言葉の通りの意味以上のさしたる感情を含まない。

でも彼女は別だった。

Twitterで繋がっていたからなのだろうか。はたまた、彼女のバイト先を僕がよく訪れるからだろうか。いや、そんな生半可な話ではない。彼女は連絡もしてくれたし、高校に入ってからも遊びの誘いをくれる。

そんな彼女に悲しくなるねと言われれば、それはしっかりとした大事な言葉なんだなって僕でも分かる。口先に転がしておく、しょうもない社交辞令ではなく。

こんなに話を親身に聞いてくれて、僕に話を聞かせてくれる人に、連絡が取れるという事。この上なく幸せで、この上なく喜ばしい事実だとは思わないか。とどのつまり、僕は心底幸運で、幸せなのだ。

良い友達を持ったなぁ。

そんな感慨深い言葉が似合う相手が、今後僕の人生に現れるのだろうか。

以上。2020年9月24日、24時25分。

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