見出し画像

2020/06/22

僕自身は別に大した面白味の無い人間である。普段はせいぜい人の考えたギャグを発展させる位しかしていない。その僕の人生が中々に面白いのは、単に身の回りの人間が素晴らしかったからというだけだ。

友人にだけは恵まれて育ってきた。まず小学生以前の友人関係は、今の僕の価値観からするとあまり好かないが、当時の僕にはハマっていた。これは十分に恵まれていると言えるのではないだろうか。そして中学以降は良い友達を持てている。中学の頃に出会って今まで付き合いが続いている友人には、感謝の想いで一杯だ。

そんな訳だから、僕は少しだけ悲しかったりもする。来年の今頃には引っ越してるハズだから、地元の友達との交流は間違いなく減るだろう。例えば、帰り道にたまたま会って世間話、みたいなのはもう無くなる訳で、そうなれば受動的に友達と会う機会はゼロになる。他方、能動的に会う予定を取り付けるような度胸は僕には無いから、こちらはそもそもほぼゼロに近い。よって、結果的には僕はこれまでの人間関係のほとんどを捨てることになるだろう。

僕はそれが恐ろしいのだ。これからの人生に面白さが保障されないこと…つまらない人間へと落ちるのではないかという危惧で、僕は堪えきれなくなりそうである。

普段強気な僕ではあるものの、時には弱気になる時もある。大体毎月こういう事を考えるのは25日前後だから、これはもしかすると世に言う「生理」というヤツなのかもしれない。実は男性にもホルモンバランスが不安定になる期間が周期的に訪れるのだ。辛い。

柄でもない。僕は僕だ。他の誰かに定義されたり、他の誰かに依存したり、他の誰かに保障されるような人間ではない。

こんな戯れ言を綴る暇があるなら勉強をすることだな。今日提出の課題だって先週から1週間まるまる引き摺ってたんだから、いい加減学ぶべきである。

それでも。僕だって不安がりたいし、誰かに慰められたい。そういう時に慰めてくれるのが中学時代の友達と高校の仲間なんだから、そりゃそこら辺との関係が消えてしまう事は怖いよ。死ぬほど怖い。結局、僕は人に頼れるだけの弱虫で、小学校の頃と比べたって自分自身は強くなっちゃあいない。虚勢を張れるようになった、それだけの話だ。

だから。

君が居てくれて本当に良かったと、言えなくなる前に伝えるべきなのかもしれない。

以上。2020年6月22日、25時27分。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?