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2021/01/14

僕です。大して変わりもありません。

noteを書かなくなってから就寝が早くなったかというと、実のところ大差はありません。元々が夜更かしの好きな人間である上、4月からはそんな事も出来なくなりそうなので今のうちに精一杯夜を更かしたいのでした。

流石にそれだけを言う為にnoteを開いた訳ではありません。しかし、以下はなんとなく自分が今考えていることを言葉にしたいだけですので、お付き合いしてくださる方だけ読んでくださればそれで結構でございます。

では、改めまして。

時雨々です。こんばんは。突然ですが読んでいる皆様に一つ質問です。

自分、好きですか?

好きな人も嫌いな人も居るでしょうね。とはいえこの問い自体には大した意味も無いのです。僕が訊きたいのはつまり、「自分が自分を好きかどうか考えますか?」という事。

そもそも自分が好きかどうか、それは自分に問いかけなければ分かりませんね。ですが、日常的にそうした機会を持っている人というのは実はそう多くないような気もするのです。それは他人に対してと同じで、自分に対してもまず一番に嫌な部分が目につくからであると僕は考えています。

質問を変えます。自分、嫌いですか?完全な偏見にはなりますが、これには素直に嫌いと即答する人も少なからず居ると思っています。人を嫌うことは人を好くことより簡単、裏切られるリスクがありませんから。

さて、自分が嫌っている部分というのは、そう簡単に直せる物なのでしょうか。それが出来れば苦労しない──そんな声が聞こえてきそうです。僕もそう思います。

例えば僕は多様性理解に欠けます。他人の思考について考えを巡らすという行為自体、答えが分からないので無駄だと思っています。まぁ人としては本当に最悪ですね。

もちろん直したいと思っています。何年も。それこそ物心付いた時から、自分自身のこのどうしようもない独占的な考え方を、どうにかして振り払えないかと試行錯誤しています。ですが、どだい無理な話です。

残念ながら僕は時間のかかる事が嫌いだし、その為の努力が苦手です。結果はさっさと出てほしい。なのに人の性格というのはパッと切り替えられる訳でもないから、ちょっと自分を変えようと思っても数日で嫌になってしまいます。変わらないじゃないか、と。

とかなんとか言ってますが、僕は自分が大好きです。最終的に僕が出した答えというのは簡単で、自分を嫌いながら好くことです。

僕は僕が嫌いですが、僕は僕が好き。この2つ、一般的には相反する物だと分かってはいますが、敢えてこれを切り分けて考えたいのです。僕は僕自身の即断力や意見の一貫性はそんじょそこらの同級生とは一線を画すと思っていますから、その点では自分が好きです。一方で前述の点は嫌いでもあります。だから、好きだけど嫌いなんです。

これ、言ってみれば何の解決にもなっていません。カスな僕はカスのままです。でも変われないんですもの。ボランティアに参加しようが偉い人の本を読もうが、元来こうして生まれ持ってしまった考え方が根本から覆されるのは、作り話か奇跡かでしかない。生憎僕は作り話の登場人物でも無いし、僕に奇跡が起こるなんて事も無いんです。

世の中にはこういう考え方をして自分を好いている、時雨々という人間が居るらしいですよ。例えどんなにカスでも、例え自分のことをどんなに嫌っていても、自分を好きになったって良いんじゃないですかね。

特にオチは無いです。おやすみなさい。

以上。2021年1月14日、21時22分。

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