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2020/05/28

昨日は数ヶ月振りに友達に会ったけど、今日はまたいつも通りに戻ってしまった。いや、いつも通りとは一体何だ?今僕が認識している日常は、すっかり数ヶ月前までのそれと変わってしまった。今更あの日常に戻るとは思えないし、とはいえ今がいつまでも続くのも何やらアホくさい。やってらんないな、こんなの。

3日目にしてもうネタ切れだなんて言いたくないから、ちょっと思った事を書いてみる。というのも、何年も前に母親と話したある性差を思い出した。

その日は僕は酷い下痢に襲われていた。また排泄ネタかよという突っ込みは野暮だとは思わないけど、今はちょっとやめてほしい。

下痢ってのはどうにも辛いもんで、特に僕は比較的健康な体を持っているだけに精神的にくるものがある。日常で起こり得る数少ない体調不良。それも、なんで今日に限って、みたいな日にばかりこういうアクシデントを引く。もしかしたら健康的な体と引き換えにしているのは僕の運なのかもしれない。

ちなみに、この文章は思った事をそのまま書いているし、添削をしない。だから後から自分で読んでても読みにくいし論点がずれまくってるけど、これはそういうnoteなので許してほしい。

閑話休題という言葉が正しいのかは分からないが、下痢の話の続き。まぁそんなこんなでトイレから出てきた僕は、下痢の辛さについて母親と話した。母親はあまり体が強くないから、この手の話をめちゃくちゃ共感しながら聞いてくれる。そして時に、痛みを凌ぐ術なんかを教えてくれるわけだ。んでその時の母親の一言ってのが、「下痢の時って小の方でも滲みて辛いよね」。

これを読んでいる女性諸氏は共感出来るんだろうか?それは分からないが、僕も含めて男性は一瞬じゃあ理解できない気がする。じっくりしっかり考えてみてくれ、これがどういうことなのかを。

これ小6ぐらいの時だったかなぁ。この時に「男と女って根本的に違うんだな」ってはっきりと分かった。それまでこんな日常に潜んでる性差なんて考えた事がなかったから、まぁとにかくこの言葉は深く刺さった。

LGBTとかどうとか騒がれる昨今、「理解することが大切」とはよく言われる。それってこういう事なんだろうか。大切とか言ってる人、こういう些細な違いについて考えを巡らせてる?トイレで我々が学ぶべきは行列の長さがどうとか個室の数がどうとかそういう話じゃないんじゃないのか。

無性別について語るのは大好きだけど、中でもその差について深く考えてみるのは大事だと思うぞ!とか教訓めいたまとめ方したらnoteっぽいかな。そうでもないですか。

大分話がズレてきたし、今晩はここら辺にしとこ。明日の晩にもなってまだこの話の続きがしたいなと思うなら、また明日の分でやりゃ良いんだ。1日分の成長した文章力を携えてな。

以上。2020年5月28日、20時34分。

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