見出し画像

2020/10/04

恋愛話。

と言っても、ヤレ好きな子がどうとか、ヤレこんな仕草が愛らしいだとか、ヤレ性癖が拗れたとか、そういう話ではない。今から僕がしたいのは、「恋愛」についての話である。

かつて「彼女(交際相手)」という存在をとてつもなく求めていた時期があった。中学生の頃の話である。今思えばそうだが、当時は自分が交際相手が欲しいだけだとは気付いていなかった。単純に自分が人を好きになる基準が低いだけだと、そう思っていた。

尤も、これは今でもさほど変わってないと思う。誠に遺憾ながら、僕が可愛いと思っても他人からは「いやアレはあり得ない」みたいな評価をされていたり、「冗談だろ?」と返されたりする。当人たちに申し訳無いし、自分でも悲しいからそうは思いたくないが、どうやら一般的な範囲よりかなりストライクゾーンが広いらしい。

で、当時はそれを恋だと思っていた。だから、自分の気持ちを伝えなければならないという、使命感のようなものにもあてられていた。だから告白しまくった。好きですという言葉を何度伝えたか、最早思い出せない。

無論、愛していない訳ではなかった。僕はそのみんなを確かに好きだったハズだ。告白すると決めてからは気持ちが固まるから、その子しか見えない。そうなれば、告白する瞬間は確かにその子だけが好きで、その子こそ交際相手であってほしいと思う。

で、フラれたらそこで終わるわけだ。だって交際相手となることを目的としているんだもん。当時の僕はそれを、単に冷めたのだと勘違いしていたけれど。

思えば最低な事をしていた。でもなんというか、中学の頃の僕は色々な意味で本当に馬鹿だったから、そのムーブメントの問題点に気付けなかったし、気付こうともしなかった。

実際あの頃の告白の中に、本当の意味での恋がいくつ含まれていたのか、今となってはどうやったって知ることが出来ない。

僕の恋愛観は心底貧弱だった。

そうして何人かと付き合って別れて、何人かにフラれた。そうこうしてたら地元とは離れた高校に進学し、中学の人間関係のほとんどが今や関わり無く変わってしまった。

高校に入ってから2年半、彼女は出来なかったし、もう半年も恐らく出来はしないだろう。それは単純に男女比の著しく偏った学校に通っているからというより、あの頃と比べて恋愛を正しく認識できるようになったからだ。現に好きになった人は居たが、告白はしていないしするつもりも無い。そういうことなんだ。きっとあの頃から、こうしておくのが正解だったんだろう。

そして僕にとって、人を好きになるハードルは下がったが、人と恋愛をするハードルは上がった。これからの僕の人生に恋愛は存在しているんだろうか。

以上。2020年10月4日、24時25分。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?