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2020/07/14

朝っぱら、起きた瞬間から雨音をハッキリと認識した。僕は庭に突き出た縁側のある和室で寝ている。瞼を開くと、縁側の窪みに溜まる水と、庭の木から滴る露が目に飛び込む。そうして僕はようやく、自分が簾を下ろさずにこの夜を寝ていたらしいと思い当たった。

いつも自転車を漕ぐよりも少し早い時間に支度を済ませて傘をさす。70cmのビニール傘に図上を守らせつつ、駅までの長い道のりをひたすらに歩いた。

梅雨の時期になってからというもの、自転車を使えない日が多い。それなりの降りでも妥協して自転車を漕ぐ僕でも、朝に家を出るタイミングで雨が降っていると流石に大人しく徒歩にする。最近は自分が駐輪場に自転車を置いたかどうかを忘れ、傘を持っているのにも関わらず駐輪場に入った事があった。当然、自転車は家なのでここにあるはずもない。数分探してからそれを思い出し、惨い程の羞恥に襲われながら駐輪場を後にした。

簾の件といいこれといい、最近なんだか記憶力が怪しい。「これをしなきゃ」とか、「こうしておこうかな」とか、そういうのをすぐに忘れてしまう。常日頃から思考をメモしておきたい。もっとも、このnoteはそういう場なのだが。

そんなこんなで帰りも駅から家まで歩いた。この騒ぎでマスクを着けるようになる以前は、徒歩での帰宅時によくフォロワーと電話したりキャスを開いていた。あの頃が遥か遠い昔のように感じられる。久々にフォロワーの声が聴きたいな、なんて思いながら、ひたすらに歩いた。

その道すがらで、何回か中学生に会った。僕みたいに一人で歩いている高校生としては、何人組かでワイワイしながら歩いている中学生を早足で抜くのは中々にしんどいものがある。昔ここに知り合いが居た頃は、話し掛けて無駄話に参加しながら帰ったものだ。だが、高3になってしまった今は知り合いがほとんど居ない。それで気まずさとともに国道をしばらく歩いていたから、自宅への曲がり角では少しホッとした気分になった。

と、次の交差点の角で駄弁っている女の子が2人見えた。どちらも僕の母校でもある中学のジャージを着ている。それだけならさっきまでそこら辺に居た大勢と何ら変わりが無いのだが、僕はそのうちの片方に釘付けになった。知り合いなど居るはずもないのに、彼女に強い既視感を覚えたのだ。

そうして遂にその交差点に差し掛かった時、彼女は僕を見た。少し目があって、軽く会釈をして、そのまま通り過ぎた。お互いに同じ既視感を味わっていたはずだ。そうに確信する、ハッキリとした視線を交わした。

僕は彼女を知っている。そしてまた同じように、彼女も僕を知っていただろう。

この話の中に出てくる「サラ」と仲が良かった、同じく当時小学1年生だった女の子。クラスの中心的存在で、いつも明るかった「ナナミ」という子がいた。その頃から本当に可愛かったからよく覚えている。同級生だったら間違いなく好きになってただろうなと、ぼんやりと思った記憶がある。そのナナミが、中学のジャージを着て、そこに居たのだ。

考えてみれば、そりゃそうだ。僕が小6の時に小1だったのだから、こないだの春に中学に入ったのだろう。でも僕の記憶の中での彼女たちは、ほぼほぼ幼稚園児と変わらない幼児で止まっている。だから思春期を迎えかけている、論理的な思考の元に友達と会話をしている中学生のナナミを見て、本当に純粋に驚いた。あの頃と変わらず可愛い。あのまま正統派な成長を遂げた、という雰囲気だ。

話し掛ける程の勇気もないし、ナナミが今も僕を覚えているのかは分からない。毎日のように遊んでいたとはいえ、もう6年も前の話だから。すっかり僕のことなんか忘れてるだろうし、忘れてもらっていて一向に構わない。ただ、お互いにずっと引っ越さずにいたからこそ、またこうして出会ったのだなぁと少し感動した。成長っぷりも合わせて、なにやら涙が出そうであった。大きくなって。

一方の僕はナナミみたいにちゃんと成長出来てるんかな。

以上。2020年7月14日、24時43分。

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