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小説 魔界綺談 安成慚愧〜百三

大内家は義隆の死をもって事実上消滅した。

そしてそれは陶隆房にとって誤算の連続を生むことになった。

当初、隆房は義隆の嫡子である義尊を当主に迎えるつもりであった。これは正当な大内の血を残すことにより、隆房の行動を大内家への忠誠として正義と為さんがためである。義隆は事前に義尊を大寧寺から脱出させていたため、隆房はその捕縛を命じた。

正当な大内家の血筋を残し、実権を握る。それは、隆房の父、興房と同じ手法である。そして、義隆を憎くて葬ったわけではなく、相良武任との軋轢から偶発的な謀反に発展してしまった隆房にとってはせめても罪滅ぼしでもあった。

しかし。

一度狂った歯車はそう簡単に戻らぬものである。

隆房は義尊捕縛の意図を明確に伝えず、捕縛だけを命じた。それが思わぬ事態を引き起こす。

義尊は隆房の兵により殺されてしまったのだ。義尊はわずか7歳であった。死にあたって幼い身でありながら堂々としたものであったらしい。さすが西国の英雄である大内義隆の嫡子であると、その最期を見た者の心を打ったという。

戦とは人の理性を大きく狂わせる。隆房の曖昧な指示は兵の拡大解釈を招いた。戦国の世にあって敗軍の将の男子は生かすべからず。それが通例である。まして隆房は謀反を起こした身であり、謀反を起こされた側はその恨みを決して忘れぬであろう。その意味からも兵たちの判断はあながち間違いともいいにくい。悪いのは、曖昧な指示を出した隆房自身にある。

義隆の嫡子を殺したことにより、隆房の謀反は典型的な下剋上となった。隆房に組した者にとっては、ここで隆房に旧大内家の領地を含め掌握してもらわねば、危険を犯し、主家殺しの汚名を被った甲斐がない。彼らの動きは俊敏であった。

まず、そもそもの対立の原因をつくった文治派の首領である相良武任を筑前花山城で討ち取り、内藤興盛と共に隆房側についた毛利元就が義隆派である平賀隆保、菅田宣真を攻め降伏させた。戦線はまたたく間に下剋上の恩賞にあやかろうとする者たちの手によって拡大し、大内義隆・文治派の残党は駆逐された。

隆房は、大内家の後継として九州の大友義鎮の異父弟である大友晴英を大内義長と改名させ当主に据えた。晴英は過去に大内家の外交政策の中で、義隆の養子になっていたが、大内家家中の不評もあり、大友家に戻された過去を持つ。その晴英を呼び戻さなければならないほど、隆房は窮していた。

しかし、名目上の後継者を迎えたことにより、大内家の正統な血脈は絶え、その膨大な旧領は隆房の手に渡った。ここに至り、隆房は自らの名を晴賢と改名し、大内家の財産を全て簒奪し、新たな中国の覇王として君臨した。

そして。

それはまた、隆房の凋落の始まりでもあった。

毛利元就である。

元就は密かに計画を練っていた。この時、老境に近づいていたこの戦国きっての梟雄は、大内家の混乱に乗じて飛躍する機会を淡々と狙っていたのである。忍従に慣れているこの男にとっては、血気逸る隆房の心中は手に取るようにわかっていた。

そう。

隆房は焦っていた。

大内家を簒奪したもののその恩賞を巡って争いが起こっていたからである。新しい当主義長には正当性もなければ求心力もない。必然的に隆房がその任に当たらねばならなかったがそもそも隆房にはそういう政治力はない。根っからの武人であり、政治的な能力はかけらもなかったのだ。旧大内体制では、相良武任や冷泉隆豊がその役割を担っていたが、そのような人材は大寧寺の変でほとんどが死んでしまっていた。残っているのは隆房のような武人か、内藤興盛のような野心家だけである。

調整能力のない隆房はその矛盾を軍事にのみ向けた。

無謀にも北九州に向けて侵攻の計画を立てた。稚拙な策をもって宗像地方を支配下に置こうとして諸将の反感を買った。諸将にとって新たな軍事作戦より必要なのは大寧寺の変の論功行賞なのである。内藤興盛などは公然と隆房のやり方を批判した。

また、隆房が大寧寺の変に際し味方となった義隆の側近、杉重矩を相良武任と通じていたという罪を着せ自刃に追い込んだことで、隆房に対する不信と不満は頂点に達した。

元就は用意周到に以前、降伏させた平賀家を傀儡におき事前の安芸を支配下に置いていた。その上で石見の吉見正頼を焚き付け叛乱を起こさせた。隆房は慌てて石見の鎮圧に乗り出したが、元就はこれに参戦せず、ここで初めて明確の隆房との対決姿勢を見せた。

この時点で元就の勢力は4000あまり、対する隆房はかつての大内家の支配下の兵を動員すると30000以上と10倍近い勢力であった。普通に考えると元就のかつ見込みはなかったが、そもそも隆房の兵といってもそのほとんどはかつての同僚である。

彼らを思うがままに指揮するには、あまりにも体制が整っていなかった。そもそも大寧寺の変に対する恩賞に対する不満がくすぶったままである。軍の士気は鈍かった。元就を滅ぼしたところでその恩賞は微々たるものである。負ければすべてを失う元就と、勝っても得るものが少ない隆房方とではあまりにも本気度が違った。

元就はその点を見抜いていた。

そしてもうひとつ。

元就には秘策があった。

瀬戸の海を握ることである。

村上水軍。





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