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小説 人蟲(改訂版)2

左門町にかかった辺りだった。


真っ黒な雨雲から水滴が一粒ふた粒落ちてきたと思うと瞬く間に豪雨となった。


いわゆるゲリラ豪雨というやつである。


ここ数年、日本の気候は熱帯雨林にでもなったかのごとく常識外れの豪雨をもたらす。異常気象なのだが、慣れとは恐ろしいもので10年に一度の豪雨が二度も三度もおとずれると最近では誰もそのことを普通のこととして受け入れてしまう。


「間に合わなかったか。。」


伊一郎は恨めしそうに天を仰ぐと慌てて近くのビルの軒下に入った。


雨の勢いは激しくアスファルトを叩く雨粒が大きく跳ねる。

一瞬であたり一面、バケツをひっくり返したような豪雨に見舞われた。


あまりの激しさに辺りが靄がかかったように白く霞む。道行く人は傘をさしたり、伊一郎と同じように軒先きに避難したり、おのおの慌ただしく動き回った。夕刻の時間、それぞれ忙しい時間帯だ。豪雨はそんな人々に容赦なく降り注ぐ。行き交う車は激しい水しぶきをあげる。伊一郎の足下までその飛沫が飛んでくる。ズボンの裾が濡れないようになるだけ軒下に身を隠す。

思わず舌打ちが出る。こうなると地下鉄で四谷まで出ればよかった。誰のせいでもない。自分の判断の甘さを思わず呪った。


どうするべきか。


伊一郎は時計を見た。次のアポイントまでは小一時間ほどある。急ぐほどではない。


伊一郎は、近くのコンビニまでの距離を目で測った。微妙な距離である。


四ツ谷側に少し戻ればコンビニがあるのだが、この雨足だとコンビニに駆け込む間にびしょ濡れになるだろう。


「少し弱まるのを待つか。」

伊一郎は誰にともなく呟いた。

スーツがびしょ濡れになる不快感を思うと、とりあえず雨足が衰えるのを待つ方を伊一郎は選択した。


まだ時間はある。しばらくすれば雨足はおさまるだろう。焦ることはない。この手の雨は瞬く間に上がるものだ。ほんの少しの我慢で雨に濡れる不快感を免れることができるだろう。


10分が過ぎた。


雨は激しさを増すばかりだ。


さすがの伊一郎も痺れを切らし始めた。元々、そんなに気の長い方ではない。次のアポイントまでは充分時間があるといってもこの雨がすぐに止む保証はどこにもない。そもそも生真面目な伊一郎は約束の30分前には現地に着いていたいタイプだ。


少々濡れることは覚悟でコンビニまで走り込むか。


そう思った時だった。


伊一郎の背後から傘がさしかけられた。


伊一郎は驚いて振り返った。


そこには

見覚えのない小柄な若い女性が微笑んでいた。


「よろしければ信濃町の駅までご一緒しませんか?」


真っ白なノースリーブのワンピースに、黒い艶やかな長い髪に白い肌。


一重の瞼に切れ長の目、その目の印象を少し丸みを帯びた輪郭が柔らかい印象を与える。




それが「彼女」と伊一郎の最初の出会いであった。


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