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4. 人に合わせるのが得意という自覚と、片隅での1人遊び。 心象と現実を大股で行き来する 園児期②



毎朝 
山手の住宅地を
幼稚園にむかって歩く
3~40分のあいだ
わたしはよく
通りすがりに見かけた虫を主人公にした「ありさんの冒険」
といった 
即興作りばなしを
思いつくままベラベラ喋りまくっていた。
周りのお友達が
「えーそれから?!」
「どうなったの〜」
キャッキャよろこぶ反応で
ますます楽しくなって
「…トイレにおちて、ながされてしまったのです!
じゃあぁー!!」
などと
みぶりてぶりも加え
しゃべくりに熱が入った。

そのようなわたしは
大人たちから
好ましく映るようであった。

「さかもと先生がね、
『さきちゃんは
活発で器用で お話じょうずな楽しい子です。
よく みんなで円になって座って、
さきちゃんのお話をきくんですよ。
男の子の遊びも
女の子の遊びもできるから
引っ張りだこなんです。
お絵かきも上手で
将来がとっても楽しみです!』
って
褒めてくださってね〜、
お母さん すごく嬉しかった!!
○○ちゃんのお母さんからも、
『さきちゃんって人気者ね』
って誉められて …」

”娘が良い評価をされた、という出来事”

まるで自分のことのように
嬉々として語る母
に対して
特に嬉しいでも 誇らしいでもない
フラットな感情がやってきた。

(いろんな子と遊べてにんきもの?
そんなの 当たり前だよ。
わたしほどの 人に合わせる天才はいないのだから。。)
みたいなことを
言葉にはできないまま
ただ思っていた。



よその人の前では
大概
「も〜この子はお転婆でね〜
全然 じっとしていられないんです〜
ほらこっちきてご挨拶しなさい!! 
・・・
いつもこうなんですよ、すみません~」
などと
何か悪いことをしたわけでもないのに
ハナからタチが悪いかのような
紹介をされ
おまけにしたくもない挨拶のプレッシャー&辱めを受ける
のに
よその人から 娘を好ましく評価された後は
決まって 異様に浮き立ち
どんな時よりも機嫌が良く
「誰が」「何と言っていたか」

いかにも誇らしげに伝えてくる姿が
ものすごく印象に残った


外では「娘下げ」に振る舞い
家に帰ると「娘上げ」な様子
その温度差に
子供ながらに違和感を覚え、
(お母さんは どうしてこんな風に変わるんだろう。
”かっぱつ”っていいことなんじゃなかったの??
本当のことは どっちなんだろう。)

何となくモヤついていた。

敏感で刺激に弱く 
そもそも人見知りなので
誰かと楽しく遊んでいても
次の瞬間には
よくわからない不安・不快感に飲み込まれ
気がついたら 
泣きそうになって
喉の痛みをこらえている。
幼稚園とは
そういう所だったので
他人から 自分の社交的な様子を語られても
あまりピンとこなくて
実際
1人で遊んでいた情景の方が
はるかに強く
心に刻まれている。


園庭の片隅に
自分だけの秘密の空間があって
ときどきそこへ行って
1人静かに遊んでいた。

園舎の2階廊下のどんつきから
園庭の隅に向かって伸びる
非常時避難用の
コンクリートの滑り台。
それは常に
2階の付け根と終わりから1mのところが
鉄格子の門で閉ざされており
最後のほんの少ししか
滑ることができないようになっていた。
コンクリートそのままのグレー色
シンプル極まりなく
無機質でそっけないデザイン
なのだけど 
やたら長いすべり台が
園舎と園庭をダイレクトにつなげている…
という点に 好奇心が止まらない。

(いつもこっから昇り降りできたらすごく楽しいのに..
どうしてこんな良いものを
使えないようにしてるんだろう??)

非常に不満で

(このすべり台が ちゃんと使えたらなぁ…)

悔しく思いながら
極端に短縮されたすべりレーンを
下から逆のぼりしては 
申しわけ程度に滑ってみたり、
何かと思い出しては訪れ
園庭で人気No. 1のブランコよりも
トンネル付きの岩山よりも
なんとはなしに
気になるスポットで。
その滑り終わりの裏側に周り込むと
園舎の壁とフェンスで閉じられた空間が
ぽっかりと空いており
いつしかそこは
わたしの秘密基地になった。

園庭の一番すみっこであることと
隣家と園を隔てる 高くて分厚い植え込みに囲まれていることから
ほとんど陽が当たらず
常に影になっており
ひんやりとして澄んだ空気と
冷たいコンクリートの感触
ザラザラした深緑色の葉っぱが放つツンとした匂い

日差しを浴びて真っ白に光る園庭の砂地と
わぁわぁはしゃぐ園児たちの声が
急に遠のいて感じる
静かな異空間。
その隔たりが
寂しいことのような、この上なく安心なような。

(ここは他とはちがう、特別なところ。)
と感じていた。


”サラ砂”と呼ばれる
ひたすらスコップを揺すって作ったサラサラ粒子状の砂を
泥のだんごにまぶして
丁寧に仕上げた
傑作の砂だんごを、
そのすべり台裏の暗がりに
そっと保管しておき
遊ぶ時間になったら
1人でそこへ行って取り出し

(よし、今日もある。。)

ためつすがめつ
だんごのコンディションを確認した。
何かを そこにわざわざ隠しておき
一定時間後
自分でまた取りして
確かめてみる。
という行為によって
いかにも 宝物! な特別感と

(ここにこれがあるのを知っているのは、わたしだけ。)

という事実を想っては悦に入る、
という
誰とも分かち合うことのない
遊びスタイルを持っていた
超個人的で
こじんまりとした
時間と空間の記憶。


社交的なようで
ひとりが好き
ちゃきちゃきしているようで
ボーッとしている
そういう子供だった。


ときどき
組での活動を
その場に居ながら
心では 遠巻きに眺めているようなモードになった。
何かのスイッチを切ったように
ただボーッとしていたら
みんなのことばは音になり
みんなの動きは揺れる色彩になり 
世界の輪郭が溶けて
夢の中みたいな浮遊感がやってくる。
なんだか心地よくて
その感覚に浸っていると
いつのまにか
先生のことばを聞き逃し
やるべきことがわからない不安
という名の窮地に陥るので
うかうかしてはいられない。
声をかけられたり
活動に注意を向ける必要がある、
と察したら
すぐさま
スイッチを入れ
目の前の人々にぎゅっと焦点を合わせる。
すると

(ここは一体なんなんだろう。
なんでこんなことやってるんだろう。) 

なんだかものすごく冷めた気持ちになり 
決まって
ある想いが去来した。

(本当のわたしは、ここにはいないんだ。
本当のわたしはどこか遠くにいて、
ロボットみたいにこのからだを操って
遠くから
この眺めを見ているだけなんだ。
本当のわたしは、
どこにいるのかなあ
雲の上かなあ…)

子供のころの たわいない空想

でも
このシュールな感覚と想いは
小学生になってからもよく引き起こされ
(気を抜けるときに
スイッチを切って 自ら引き起こし?)
大人になって振り返ると
子ども時代の世界観、
を象徴するイメージの1つになっていた。


そんなガチな夢想家傾向があったかと思えば
ある時は
園でうごきまわる先生たちを
ぼんやり観察しながら

(おとなの人って 
ひるまは ずっとお家で 忙しくせんたくやお料理やしたり
お仕事に出かけて大人どうしで過ごすのに、
ここの先生たちは、なぜここにいるんだろう。
幼稚園は子どもが行くところなのに、
どうしてここに?
よっぽどひまなんだろうか。。)

などと 
妙に現実的に考えたりもしていた。

こういった心の中は
何年も言葉にならず
親や誰かに話したいとも思わず
とるにたらないモノ、
と捉えながらも
記憶の中にとどまり続けた。


気づき

 *母は 幼少期から自身の内向性や能力に相当なコンプレックスを抱えていた人だったので、娘が社会的にうまくやれていて特技や見どころがある、それを誉められる、という事に 長年の劣等感が挽回されていくような快感を得ていた。

* 観察力・共感力が高く、他者のニーズを感じ取って応えることが自然にできたので 他人に合わせることが得意だという自覚に至り、
母親の心の揺れ動きや 言動の背景にある感情もつぶさに感じ取っており、娘を卑下したり誇ったりの矛盾に戸惑いながら 複雑な愛着が形成されていった。

*母親の言動 およびわたしの誉れが母の喜びに直結する。という図式から「他人の言うことこそがこの世の真実である」
「他人から良い評価を受けることこそ史上の喜びである」
「あなたはわたし、わたしはあなた」
というメッセージを取り込み、ここから他人軸と母の人生観との癒着が始まった。

*いつも楽しそう、と見られていても過剰適応で疲弊したり他人に合わせすぎて本心から楽しめているわけではなかったりしたので
自他の境がなくなってしまう本能的な危機感から 自分が自分であることを確かめてバランスを取るため、空想・お絵かき・ひとり遊びはとても大事な時間だった。

*イマジネーションで遊ぶ一方、ものごとを客観視し論理的に捉える向きもあったので どこか現実的で冷めたところがあった。
右脳と左脳を交互に働かせ、内的に忙しい子供だった。

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