【天塵】ハング・ザ・ノクチル!それでも彼女たちは美しい

ハング・ザ・ノクチル!の意味

なんとなく「天塵」を読みなおしていたときに、「ハング・ザ・ノクチル!」ってどういう意味なんだろうな、と思いました。Hang the noctchillで、直訳としてはつるせとかかけるって意味なのかなと。多分。英語自信ありません。

で、僕前置きしてるとひたすらに文章が長くなってしまうタイプなので、前置き的なノリなのが後、結論を先にまとめておきます(自分のためにも)。

「ハング・ザ・ノクチル!」に関しては、元ネタは「Hang the treasure!」の宝島から取られているのは間違いないでしょう。ここは断言してしまいます。エクスクラメーションマークだってついてるし、「海へ出るつもりじゃなかったし」では宝島が元ネタなものが存在しています(ピースオブエイト)。まぁ「海へ出るつもりじゃなかったし」は「海へでるつもりじゃなかった」という小説が存在していますし、そこでもオウムとピースオブエイトがあるのですが、それは置いておきます。内容も知らないし。まぁ宝島も知らんのですが。

さて、宝島内での「Hang the treasure!」というのは、宝なんてどうでもいい!というような訳され方をしています。で、本文はもう少し続いていて、「Hang the treasure! It's the glory of the sea that has turned my head.」これは青空文庫の佐々木直次郎訳では

「宝なんぞはどうだっていい! 小生を夢中にさせているのは海の輝きだ。」(佐々木直次郎訳,1935,宝島,青空文庫)

という翻訳がなされています。これをこのまま当てはめてみると、Hang the noctchill=ノクチルなんぞはどうだっていい!ということになります。これ、とってもしっくりきます。ノクチルは全員が花火大会で夢中になっているのを知りながらパフォーマンスをして、こっち見ろー、なんて言い、拍手していたのはプロデューサーだけ。ハング・ザ・ノクチル!花火に夢中だよ、っていう群衆たち。または、ノクチルなんて…とそっぽ向いた(原因はノクチルにももちろんある)業界の人たちも踏まえて考えてみれば、もうこれしかないよねと言うしかない。

既存のアイドル像とノクチル

さて、あらかた終わったのですが、ここからハングザノクチルに関して少しだけ書いておきます。というか僕がツイッターで呟いたやつのまとめですね。今更お断りしておきますが、これは僕のためのnoteという側面が強めです。が、もちろんnoteという体裁を取っているので、読んでくれたら嬉しいです。

高山Pのインタビューに、ノクチルは「既存のアイドル像の型にはまるべきかどうか」っていう発言がありました。

(正確には「ノクチルに関しては、シナリオでは意識的に既存のアイドル像の型にはまるべきかどうかというテーマを描くことが多いです。」)

で、これを読んでみると、やはり冒険のイメージが強い宝島の引用というのはますます間違いなく思えてきます。そして、そんな既存のアイドル像以外を提示されたPはなんて思ったかと言えば、

暗い波間に、ときどき花火の明かりに照らされて
小さく光っているあの子たち
夜光虫みたいにかすかで、不安定に揺れていて――
――なんて伝えればいいんだろうな……こういう美しさのこと                 

と、いう風に、上手く形容することができていません。そして、そんな彼女たちを見ているときの背景は無数の星がきらめく空(天塵)です。

そして、そんなかすかな光の彼女たちは、花火のせいで一顧だにされません。かすかな光は、大きな光(花火)の前にハング・ザ・ノクチルされてしまったのです。

けれど、いや、だからこそ、美しいものをそこに見出したのがPです。面白いのが、その花火を前にして、「窮屈に考えなくたっていい」と言っているところです。「まだ高校生なんだ」という言葉に続けて出たものですが、「(彼女たちは)まだ高校生なんだ(から)窮屈にばっかり考えなくたっていい」なのか、「(彼女たちは)まだ高校生なんだ。(P自身が)窮屈にばっかり考えなくたっていい」なのかでニュアンスが変わってきます。僕個人の考えとしては後者です。

なぜ後者なのかといえば、先程の既存のアイドル像という言葉を頼りに考えてみたときに、普通はトップアイドルという目標があったとしたら、そこに向かうのがいいことだと思いますよね。でも、そうじゃない美しさをPは肯定することができた。つまり、花火(大きな光)ではなく天塵(夜光虫のようなかすかな光)も美しいんだ、ということです。あるいは、花火に負けてしまうような光でも、でもいいかもしれません。

はっきりいってしまえば、ノクチルは小糸を除いてやる気がないユニットです。っていうと雛菜に怒られちゃいそうですが。まぁでもその小糸の動機も周りに置いていかれたくないというものなので、アイドルに対してのやる気、という意味ではやはりそうでもないと思います。

個人的には別にそれでいいと思うんですけどね。だって、世の中の全員仕事だからって真面目にやってるわけじゃないじゃないですか。なんとなくスカウトされたからはじめて、仕事っていう感覚も薄くて、だったらアイドル活動にやる気がなくたって良いと思うんです。それが受け入れられなかったら人気がでないで終わるし、っていうだけの話です。そして透は最近楽しい。それだけでいいじゃんっていう、とても透らしい考えを話しています。

そういう意味で、既存のアイドル像、これは恐らく現実のではなくアイドルマスターの、という意味だと思います。実際、天塵のあと否定的な感想結構見かけましたからね。もちろん、否定的な感想を持つのも自由だと思いますが、別に世の中の人達がそんな精一杯仕事だとしてもやれる人っていないと思うし、テレビに関してはナメてた部分もあるかもしれませんが、透にとっては譲れないラインだったのでしょう。Gradなんかを踏まえると、少なくとも頑張ってる小糸ちゃんが、あるいは樋口の頑張りも気づいているのかもしれませんが、それを無視して息してるだけの私が、なんて意識があったっておかしくありません。それに、花火大会の仕事は私たちがよければいい、っていうスタンスだとしても全うしています。

話が逸れてしまって申し訳ないのですが、そもそもなりたくてアイドルになったわけでもなく、スカウトされてなったのだから、多少の意識の低さはあっても普通だと思います。可愛いからチヤホヤされてアイドルになって、ってなったらそりゃそうなるでしょうと。でも、アイドルマスターの文脈ではそれは許されなかった。だからこその既存のアイドル像からの脱却というのがテーマに掲げられている部分があるのでは。

一方のシーズなんかは、あれもある意味アイマスらしくないと思いますが、ノクチルとは対局のらしくなさですよね。努力して努力して、でも……みたいな。まぁシーズの話をするとまた話が逸れるのでこの辺りで。

で、再びPに舞い戻るのですが、今が楽しいんだ、っていう前に「そういうこと含めて考えて欲しいんだ」というワードが出ます。これは、Pが花火大会の仕事に関して説明しているときにでてきましたよね。そして、それに対する透の理由が、今が楽しいから。わかんないかもしれないけど、行き先はわかる。

ここで一番最初に行きたいというのは雛菜。これはまぁ、彼女自身まだブレることがないからですよね。ブレるほど知らないのか、ブレる基準を持たないのか、ブレるための情報を見ていないのか。

次に小糸です。僕個人的にノクチルを引っ張っていくのは実は透ではなく小糸だと思っているのですが、それに関しての詳述は避けます。ともあれ、置いてかれてしまうような危機感を感じて、”今まで通り”ではいられないと。だから、行ってみるんだ。

透に関してはもう言い終わったので、円香に関して。円香はずっと一緒にいられるっていうんですよね。で、それに対して今まで通りじゃっていうのが先程の小糸です。

思えばプロローグのハウスーンイズナウでも、円香はどこに行くのか分からない心情を吐露していました。そのときの心情がここではダイレクトに表現されていますね。

ここで今という言葉に関して考えて見たいと思います。今ここ性といえばやはり透の専売特許ですが、円香にも今の香りがあります。それが、ずっと一緒にいられるというものです。これは、今がずっと続くという前提のもとでしか発言されないですよね。

では、この今という言葉を取って、透と円香はどういう違いを持っているのか。透の今ここというのは連続しています。未来でもあり、過去でもあり、そして今でもある。まるでメリーゴーランドのような、あるいはカセットテープのような、まわる時間です。透のまわる時間感覚は過去も未来も全て今であることができる。というとまぁとーるくん、の話もあるのでやや語弊があるんですけどね。

一方の円香はといえば、今なのです。過去でもなく、未来でもなく、イマ。そして、そのイマというのは、4人の時間とも言いかえることができるでしょう。円香は4人の時間でなくなった(透との時間がなくなる=4人の時間と解釈も可能かも)元凶であるPに明確な敵意を持って現れます。で、浅倉さんと一緒なら、っていうのでアイドルに見事スカウトされてしまいました。

そもそも今の円香になったのにも、そのイマ性が壊れるなにかがあったのかもしれません。小糸との別れ、っていうのは安直ですかね。まぁなにが原因かは現段階では考えるのはやめておきましょう。

とにかく、透と円香の今に対する捉え方というのは、同じ今でも異なります。透は今も未来も過去も循環する時間だからこそPに好意を。もちろんジャングルジムだってこともありますが、それも過去=今だっていう風に無理やり言えますよね。無理やりですけど。でも、円香にとっては未来も過去も今じゃない。なにかが崩れてしまう。そんな風に捉えているからこその、どこに行くんだろうかっていう発言。そもそも行くっていうのは未来志向ですし、ずっと一緒にいられるっていうのも重複しますが今が続くことが前提。

そうなってくると小糸のスタンスは今を続けるために未来へ、ということになりますよね。で、雛菜はある意味で円香に近いかもしれない。雛菜は雛菜であることしかできない。至極全うで誰も反論できません。だからこそ、雛菜は雛菜の裡でとどまることができるのです。ただ、だからいいとか悪いとか、そういうんじゃないんですよねこれは。雛菜の考え方はそうであるうちは誰も文句が言えないし、雛菜が幸せ~ならそれでいいというのもそのとおりなんです。周りがとやかく言えません。雛菜が雛菜の裡以外に目を向けたいと思えば、それはそれで話が変わってきますが、別にそれがいいことだよね、とも言えないしっていう。

ちなみに、GRAD現時点で透しか読んでないので、透以外の記述に誤りがあるかもしれません。

メインの記述は終わったので、ここから前置きに入ります。後置きですね。

The smith元ネタじゃないの?

さて、ハングザノクチルの元ネタThe smithだっていうのを目にした人もいるかもしれません。というか、僕が調べた限り宝島だって言う人はいませんでした。まぁこれは天塵の時期もあってしょうがないと思います。

オープニングのハウスーンイズナウに関しては、まぁもしかしたらこれはThe smithが元ネタかもしれません。軽く調べた感じそれしかでてこなかったので。一応意味的には今にっていつだよ?っていう意味合いで使われているらしいです。

で、同じく楽曲Panicの中にHang the DJっていう歌詞があるらしいです。ニュアンスとしては、安っぽい流行曲ばっか流してPanicに陥れやがって、っていう意味らしいんですけど、これをノクチルに当てはめたところでなにがなにやらです。アクロバティックすぎる解釈が必要となるので、The smithじゃないと思います。まぁ全く意図してない、とも言えないけど。

ただ、ハウスーンイズナウの今にっていつだよ、っていうのはエンディングと絡めて考えれば結構合ってそうな気がします。海に行くのっていつだよ、っていうのから海に向かって、ハングザノクチルに至る。

ここ、海に行くのっていつだよっていうのが先程の円香の記述と絡めて考えると結構面白いんですよね。あれ、子供のときの約束じゃないですか。で、実際に海にきた。確かに”今”ではあるんだけど、同時に未来です。どこに行くの私たち…という不安をよそに、過去に約束した今という未来でそれを達成しています。そして、4人のままで……+P。

で、ハングザノクチルもどうだっていいんだ、っていうの、ここでちょっと踏み込んだ解釈をしてみると、彼女たちは元々4人だったわけですよね。だから、彼女たちは別にノクチルという呼称を与えられているけど、そうじゃない。

さよなら、透明だった僕たち

これは、透明だった4人の幼馴染という関係性に「ノクチル」という名前がつけられた、ということかもしれませんね。そして、天塵では、ノクチルという関係性ではなく、透明だった僕たちの関係性が肯定されていました。もちろん、小糸が先に進もうとしたり、透と円香の相容れない今感覚があったりと、ずっと同じではありません。それでも、約束通り海にこれた。これは透明だった彼女たちが約束したものです。だから、透が考えているように、今は断絶されているのではなく、過去でもあり、今でもあり、そして未来でもある。

「ハング・ザ・ノクチル!」ノクチルじゃなくたって、彼女たちは美しかった。

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