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私の興味はなぜ「語学」だったのか

こんばんは。2日目です。

今日は長きにわたって取り組んでいることについて書きたいと思います。これを読んでくださっている方の多くは私の友人であると思いますので、私がどんな人間であるかは大体知っていただけていると思います。でも、勉強の事や私の興味の根本の事などは、私の核のようなところをさらけ出すようで、その一方少しきれいごとを並べているようで恥ずかしく、なかなか話すことはなかったと思います。

なぜ英語を勉強するのか

これは周囲の人によく問われた質問です。
私が日々を過ごす中で多くの時間を共にしている「塾に通う子どもたち」との出会いによって、それをまた自分に問う機会もここ数年多くなりました。

私がなぜ英語を勉強するのかといえば、世界共通語である英語を使って「もっと広い世界を見たいから」「自分が置かれている環境を客観的に見つめたいから」と私は考えています。世界中の進んだ研究から、海外のアーティストが発信するSNSに至るまで、日本語では得ることのできない情報が世界にはあふれています。翻訳の技術は日々進化し続けていますが、その言語特有の言い回しやジョーク、皮肉などの含みを100%変換することは難しいと思います(翻訳技術の進歩は現代の世界を形作る以上のパワーがあることは言うまでもないです)。しかしそれを、自分の目で見て、耳で聞いて理解することができたら、こんなにコスパが良く、嬉しいことはない!ということです。

日本語が弱いわけではない

そう言うと、日本語で得られる情報はちっぽけで、不十分なのか、と感じる方もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。

逆を言えば、日本語でしか得られない情報もたくさんあるわけです。それは、よくテレビであるような「ニッポンに行きたい!」的な外国人や日本語を勉強する外国人が多いことが証拠だと思います。日本発のゲームやマンガ、アニメは世界的に評価されていますし、それを評価する外国語の記事や投稿もたくさんあります。こうして「外から見た日本」を自ら確かめ、誇りに思うためにも、自分にとって英語学習というものは必要不可欠であると感じていますし、それを普段の生活の中で自然にできるような環境に置かれることを恐れないことが今の目標でもあります。

「絶対に通じる言語」はない

今や世界の約7人に1人が使う英語ですが、数年前にそれが世界の全てではないことをやっと理解します。もちろん私には世界の全てを知ることなんてできないし、そんなすごい(信じられないほどヤバい)ことをしようなんて思ってはいません(笑)

それをはっきりと認識したのは、3年ほど前に行った台湾で、"意外と"英語が通じず「あっ英語ってもしかして…」となった時です。そこで考えたことは英語のことだけではなく、その土地の歴史や教育のこと、帰国後も含めれば本当にたくさんありました。

そこである意味での無力さを感じつつ、新たに興味を持ったのは中国語の可能性です。中国語を初めに選んだ理由はなんとも浅はかな「漢字だから」という理由ですが、勉強したり、実際に使う機会を経験してその潔さ、使いやすさなどの魅力を知り、さらに興味が湧きました。もう最近は離れてしまってほとんど忘れてしまいましたが、機会があればまたやりたいと思っています。

初心忘るべからず

ここまで書いていると、自分でも「なんかこの人綺麗事ばっかりだな〜」という感じがしますが、私の外国語学習の根本は上で書いたようなことなんだと思います。文字にすることで改めて自分でも認識できるようになりました。最近、韓国語も始めたので、また海外に行けるようになったら腕試しで行ってみたいな〜と思っています。

また今日も長々と書いてしまいしました。
長い文章の締め方はまだよくわかっていません。
明日もがんばります!

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