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自己肯定感に対する考え方の違い

本当に本当にお久しぶりです。また読みに来てくださり、ありがとうございます。お元気でしたか。
更新しようと思ってパソコンに向かうと、うまく言葉にならないことばかりで、あんなにつらつら書いていたのはなんだったんだ(笑)と、すこし(かなり)書くことと距離をとっていました。決して文を書くことが嫌いになったとかそういうことではなく、自分で納得できる文章がなかなか書けなかったという感じです。

今日からまた、一週間noteを書きます。巧く言葉にできるかわかりませんが、私のがむしゃらな言葉たちも皆さんに愛してほしいと思っています。

今日は、ここ数年私がずっと大切にしている、「自分を認めること」についてみなさんとシェアしたいと思っています。

How to 自画自賛

心の根本がネガティブで、それがなかなか直らない私ですが、最近は前向きに生きよう~って思うことで、いやなことや些細な悩み事を吹き飛ばすようにしています。
ここから、とてつもなく初歩的なことを書きますね。(「前向き思考」の方は読んでいてイライラすると思います。)

でも、「前向き」どうやってやるの?って思うんです。何度も言いたくはありませんが、私はネガティブ(本当は自分に厳しくしたいタイプ)なので、嫌に思ったこととかを「こんなことがあったから逆に」なんて、簡単には思えませんでした。

じゃあ、どう思おうか?
その出来事を少しでもプラスに捉えるには、出来事自体への印象ではなくて、「その出来事があったから私はこう成長した、ナイス!」とか「ここでこんな対応をしたから最悪の事態は免れた、自分割と機転利く~!(こんな性格の私は最悪のケースも考えてしまうものです)」とか。自分にどんなプラスのイベントが発生したか(笑)を事態を細かく捉え直して考えるように(くよくよと考えてしまうタイプなのでこういうことは得意です。)しました。

そうすると、ネガティブな思考もたまには功を奏すもので(?)不思議と自分という存在の価値が上がったような気分になる。その前と比べれば、少しは堂々といられるようになるんです。
みなさんにとっては、あたり前、と言われてしまえばそれまでなのですが、私はこれを会得するまでにかなりの時間を要して、やっと、少しずつでも自分を認めることや、褒めることに対して積極的になったと感じています。

子供の頃は知らなかった

自分をほめることがなんでそんなに難しかったか。
考えてみれば私の子供の頃って、そんなに褒められた経験が無いんです(それか、完璧主義がゆえに、大したことない事で褒められることが苦手だったのかもしれない)。
しかも、今と違って、「努力して可愛くなる!」とかもあんまりやってなかったし、私は自分の容姿に全く自信がなかった(程度を無視するなら今もですが)ので、自分の容姿をほめるなんてもってのほかでした。

あとは周りの空気感です。
自分の事をほめようものなら「ナルシスト!」と言われる閉じられた社会の中にいる。本当に世界が狭すぎてかわいそうですが(子供ってそう。そうあるべきではないけど。)、自分を褒めた方が良い、というよりも自分を褒めることが正しい、っていう世界線があることをどうしても信じられなかったですし、きっと今の私が当時の私に言い聞かせても絶対に信じてもらえません。

あと、塾に通う子どもたちとの会話の中で

子「先生今日の髪の毛可愛いね~!」
私「でしょ!これお気に入り~!」
子「(きょとん)」
とか
私「すごー!全部合ってるじゃん!天才~!自分でも思うでしょ?これだけ出来たら!」
子「なにそれ!自分で自分のことよくできたね!って言うの?なにそれキモい!」
私「え!言わないの?!今の自分すご~!とか」
子「言わないよ!ナルシストじゃん!」(←ほらね!!!言うと思った!!!

みたいな会話がよくあるんです。
まあ、同じ年齢の私なら激しく同意していたであろうシチュエーションです。今の私からすればもうそんなのもったいない!自分で自分褒めないでどうすんの!!と言いたくもなりますが、それを言わずに、私の姿を見て自然と「自分を認めてあげること」の良さに気づいてもらって身に付けてもらえたらいいなぁなんて、高望みしてしまっています。彼女たちがそれに気づくのはいつになるんだろう。

いつだって味方は、

以前に比べれば改善しましたが、私は本当に自分がつらい時に、周りに助けることが難しいです。勝手に、誰も気づいてくれないんだ(メソメソ)。ってなってしまってバッドに入ってしまうのがいつものパターンです。
もちろん誰かに頼ることが一番大事だし、そんなときに気軽に連絡できる相手を作ることもまた、大切なことなんだと思います。(Special Thanks いつも私をどん底から救い出してくれるみなさん。)

でも、本当に最後頼りになるのは自分自身だなぁと思うのです。どんなことがあっても味方だよ!と言ってくれる友人を本当に大切にしなければなりませんが、決断するのは自分自身。大変な状況を打破するのもうまく渡り歩くのも、真っ向勝負するも。どれが最善かなんて自分にしかわかりません。それは、自分の選択を正解にするのは自分だからです。

そして

だからこそ、自分のよい所には積極的に気付いてあげたいし、それをかけがえのないスキル、自分の持ち物として大切にしたいです。
自画自賛が良くないと思っていたあの頃を思い返すと、本当に悔しい気持ちや悲しい気持ち、自分はもったいないことをしてきたなぁ、もっと自分に自信があれば今頃、、、なんて思ったりもします(笑)往生際が悪いですが。
でも、こうやって思い返せるメタな(?)視点を持てたことだけでも、あの時の自己否定が撤回されたような気持ちです。今からでもあの頃の自分を愛すのには遅くないようです。
それに、あの時自分にあの時よりも自信があったら(なかったら)きっと今の人生、今の自分はありません。数年前まで感じていた「自分は【惜しい】人生を送っている」というコンプレックスも、今この人生が自分にとって最適(もちろん足りないこともありますが。)なものだと思えていることによって払拭されています。
それはもちろん私が徐々に自分を認めることに対して積極的になったからでもあるし、自分を認めてもいいんだと思わせてくれた周りのみなさんに出会えたからでもあります。みんなが誉めてくれるから自分にはそれだけ価値があるんだと思えています。本当にありがとうございます。

でも、自分がいい気分になるだけではだめです。
3月まで私に関わる子どもたちが、いつかもっと広い世界を知って自画自賛が悪い事じゃないと気付いてくれますように、その時に、「あー、あの人ってだからこんな感じだったのか(笑)」と鼻で笑ってもらえますように(笑)
さらには、これを読むみなさんの中にもし自分に自信がない人がいたら、まずは素直に周りの自分に対する素敵な言葉を受け止めて、それを自画自賛の種として、少しずつでも前向きに感じられますように!

1日目、完!
明日もよろしくお願いします!

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