見出し画像

ドバイに移住した話𓃿

この度は、みなみん様、素敵な企画(#37minアドカレ)を有難うございます。「テーマは2023はじめて』」という一文を拝見して、思えば今年は初めて/ 始めて尽くしだったな〜、と年の瀬の近づくいま改めて振り返るきっかけとなりました。初めてのnoteを投稿させていただきます。

旅立ちの日

2023年9月7日より、ドバイにあるITの会社で秘書として働き始めた。

短期留学では米国に滞在した経験があるものの、外国で就労ビザを取って、収入を得て、自活をしながら働くというのは初めての経験だ。そもそも私は札幌生まれ、札幌育ち、生粋のどさんこだった。28年間、親元を離れたことすらなかった。大好きな故郷や家族と離れる時は胸をえぐられるような思いだった。

旅立ちの日、母は新千歳空港まで車で送ってくれて、少し時間があったので空港内の宮越屋珈琲でフレンチコーヒーを一緒に飲んだ。そして、保安検査のゲートを通る前の入り口で、別れを告げなければならなかった。

札幌とドバイなんて、近い。

旅好きで旅慣れた私はそう思っていた。しかし、明日から、本当に母に気軽に会えなくなるんだ ――と、この時に実感を深めた。私も、母も、涙が溢れて止まらなくなった。

「がんばってね。」

そう母が言葉を振り絞って言ってくれた。無言の抱擁をして、私はゲートをくぐり抜けた。この時の母からの一言を、ふと寂しくなる度に思い出す。そうして新千歳空港から羽田までの飛行機の中では、せっかく窓際の席だったにも拘らず、私は始終、涙で全く外の景色が見えなかった。

約3ヶ月が経ち

冒頭にITの会社で働くと書いたが、実は日本の企業であり、顧客も日本の企業で、業務の全てが日本語で完結する。何より同世代の友人が代表として経営する会社であり、実にアットホームな雰囲気である。ただ、ドバイに移住することを決めた私の目標の一つは「異なる国で育ち、自分とは異なるバックグラウンドを持つ友人を作り、英語を難なく話せるようになること」だった。

そこで、その代表取締役の友人に相談をした上で、とある外資系企業の面接を受けてみた。世界5大ジュエラーブランドの一つであるその企業が、今、日本語話者を募集している。

もちろん、顧客は日本語話者よりも他言語の話者の方が圧倒的に多いため、国際共通語としての英語は絶対に話せなければならないが ――自分はそのレベルではないと分かりつつ、とりあえずCV(履歴書のこと)を提出して、 面接の機会が訪れた。

面接の後

このnoteを書いている12月2日(土)現在、 結果待ちの状況である。結果は週明けまでに判明するらしい。

これで合格をしたら、実を言うと、「大抵の方が名を知っているであろう企業」で正社員として働くのは初めてとなる。(今も一応、正社員ではあるが、名ばかりという感じ。)

実は新卒で入社した会社では契約社員だった。今、言い訳をせずに言うならば、大学生の時に就職活動に真剣に向き合わなかったから、正社員になれなかったのだ。

もちろん、何か夢、信念、確固たる意志や計画、あるいは生き方のスタイルがあって契約社員として前向きに働く方は立派であり素敵だと思う。しかし、私は覚悟もないまま契約社員となり、それにより苦しい思いをした経験が何度もある。

今でこそ、 こんな風に「契約社員」と言う言葉を何の心理的抵抗もなく発することができるが、20代前半の頃はなぜかすごく抵抗があって、この言葉を気軽に発することさえできなかった。

周りの大卒の同期や中学・高校の元同級生はほとんど皆、正社員だった..
社会に出てから初めて、雇用形態には正社員と契約社員というものがあり、大卒者は正社員として働くのが一般的で、それが今の社会構造の敷いたレールなのだ、と気付いた。

「あぁ、私、今までレールから外れないように一生懸命、努力してきたのに、外れちゃったのかな」

と、思ったり、同じ歳の同期がとても優しくて大人で、雇用形態を何にも気にせず旅行に誘ってくれるのも眩しくて、でも、悔しくて、切なかったり。

この会社(旅行会社だった)では正社員にはなれそうにない――そう感じた時、「何かスキルを身に付けなければ」と強く思った。それは、まずは英語だと考えた。思えばこの時に初めて(これは2017年頃の「初めて」だが)本能的な危機感というか、生きる力が生まれたように思える。

私はそれまで余りにも環境に恵まれ過ぎていた。恵まれ過ぎると却って人間は能力を発揮できなくなる。と言うより、どんな能力が自分の中にあるのか、あるいはないのか、分からなくなる。そして、幸・不幸も分からなくなる。

私は、 人生で初めて契約社員というマイノリティーになって、初めて、自分の中に宿る生きる力を実感した。

20代のこれまでの多くの時間は必死にもがいていた。思い出すと消えたくなるような失敗も沢山したし、あまりにも辛いことがあり、庭のピーマンの花が咲くのを見ることだけが生きがいのような、 そんな時期もあった。

今は、例えば「契約社員」という言葉を発するにも心理的抵抗はないし、あんなに辛かったことも、驚く程「過去の思い出」になっている。「時が解決する」というのは本当だ。

長々と語っちゃいました。
29歳、20代最後の年。今度は「30歳」という言葉が私の中で抵抗のある言葉になっている。だけど、実は、何てことない。今回の面接で合格できなかったとしても、全く問題ない。それは、素敵な企業だからしばらくは落ち込むけど、やっぱり何てことない。

20代の多くの時間を報われるかも分からない努力に費やし、いっときはその全てが無駄になったと思っていたが、今回、点と点(全ての断片的な努力)が線となりドバイに移住することができたことで、そう思えるようになった。

「世界や存在にはそもそも意味はない。だけどだからこそ人間は根源的に『自由』だ」

という14歳の頃に本で知った実存主義の考え方が、今、初めてしっくりと来ている。

最後に

「ドバイ」というと皆様もっとキラキラとした投稿を想像なさったかと思います(笑) 期待外れだったら申し訳ありません!
という訳で、最後に、少し夢のある写真を貼って筆を置かせていただきます。

ドバイに移住するとウィーンやローマに6時間くらいで行ける

ドバイマリーナ🏝️

ドバイにも観光名所はたくさんあるのですが、個人的に移住をして一番魅力的だったのは日本にいる時と比べてヨーロッパがグンと身近になったこと!!

アブダビから発着しているWizz Airで、ウィーンへは往復およそ¥25,000、Etihad Airwaysで、ローマへは往復およそ¥30,000。どちらの目的地へも片道およそ6時間で着きます!この3ヶ月の間にどちらの国にも旅行することができました。

ベルヴェデーレ宮殿
ホテルハスラーローマのバルコニーからの朝焼け
ヴェネツィアの夕焼け
ナポレオンが「世界一美しい」と評したサン・マルコ広場と期間限定のクリスマスツリー🎄

12月4日(月)はお着物がとてもお似合いになる汐音葉月(しおねはづき)さんのお話です。 お楽しみに!*♡⋆.*⋆❃.

皆さまが素敵なクリスマスホリデー、そして、年末年始を過ごされますように。

追記


前述の5大ジュエラー企業の面接結果ですが、 本日12月6日(水)、 Congratulations! という合格通知が届きました🔔

今後は、 そのブランドに相応しい、 気品のある言動と立ち振る舞いを心掛けたいと思います。

まだまだ、 試用期間が3ヶ月間あるので常にジャッジされているのだという意識で努力します🔥

今回の合格は今まで失敗したな..と思ったことどれ一つ欠けても掴めなかったと思うので、 今までの報われなかった日々が報われた感じがして良かったです🥲他の方からすると取るに足らないことかもしれませんが、 自分の中では大きな一歩です。

この投稿をここまでご覧くださっている方の中にも、 いま、人生において、失敗したな..と感じている事柄のある方がいらっしゃるかもしれません。しかし、 それは未来の更なる成功に繋がっていると思いますので、 むしろ前向きに捉えてくださいね。最初は落ち込んでしまうかもしれないけれど..

ここまでご覧くださった皆様に最高の幸福が訪れますように✬̴⃛

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?