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なうあんどぜん

先日ビートルズの新曲「Now And Then」が発表された。
ジョンレノンが死んでから、リリースされたフリーアズアバード、リアルラブは僕が物心つく前。今回は実に27年ぶりの新作リリースとのことで、僕としては初めてビートルズの新譜を体験したことになる。
(とはいえ、メンバーの半分がこの世におらず、それでビートルズといえるのかというと微妙なところだけれど、、公式からリリースということなので)
デモテープからジョンレノンの声をあれだけ綺麗に抜け出せるなんて、、、。年老いたポールのカウントにはじまり、あの頃のジョンが歌い出す。少し当惑する、現在と過ぎ去った在し日々が歌の中で交錯する。未だかつてそんな曲があったのだろうか。
技術の進歩に感嘆したと同時に、年老いたポールマッカートニーとジョンレノンのハーモニーには心打たれた。 
しかし、一聴してみてこの曲はビートルズとは違う何かだという感は拭えなかった。(違和感というほどでも無いのだけれど)

はじめて新曲を聴いた第一の感想はビートルズらしくはないかなということだった。
そもそもこの曲をジョンレノンがつくったのが1978年でビートルズを離れて10年近く経っての事だから当然ではあるし、彼はソロキャリアを出発させてからというもののビートルズから遠くへ行くことを望んでいたのだろなという事は、ソロ作品を聴けばなんとなく伝わる。
更には今の録音技術でレコーディングされたハイファイなサウンドなわけで、彼らが四人一緒になって奏でていた時とは何もかもが違うのだ。
曲自体は、もちろん大変たいへん素晴らしく、ジョンレノン特有のどこか翳りのある壮麗なメロディラインに、ポールが亡きジョージらしいスライドギターを鳴らす。リンゴの献身的なドラム。とても良い。

ビートルズっぽくないなあなんて思ったけれど、いや待てよ、、はたと思い当たった。
彼らは「これはビートルズじゃない、、」「ビートルズは変わってしまった」なんて言葉を浴び続けながらも前に進んだバンドだったんじゃないだろうか。
僕は60年代にはこの世にいなくて、ビートルズを体験する事が無かった。
彼らが解散してずっとずっと後になって、1stアルバムのPlease Please MeからラストのAbbey Roadまでの全カタログを、「彼らは変わってしまった、、」なんて考える事もなく一気聴きしているのである。
(それでも彼らの音楽の変容ぶりには少なからず驚かされはしたが)
当時、ビートルズを聴いていた人たちが、アイドル期からアーティスト期に変貌していくのを境にビートルズを聴けなくなった、リボルバーにはついていけなかった、なんて話は至る所で聞いたことがある。
しかしビートルズに感じるこの違和感こそ、ビートルズがビートルズたらしめてきた所以なのではないかと思うのだ。

ジョンレノンの息子のショーンレノンが、父ならこのAIを使ったプロジェクトを喜んでいるでしょうと言っているように、彼がもし生きていたならば、玩具を与えられた子供のようにして、そして達人のようにしてジョンレノンは前のめりになって最新技術を取り入れたのでないだろうかと思う。
今と昔をごちゃ混ぜにして、AIを使って世にいないメンバーと一緒に曲を完成させるなんて、楽曲におけるタブーとも取られかねない事を、易々とやってみせた。


僕は新曲を繰り返し繰り返し何度も聴いた。
ジョンレノンは何を思って歌詞を紡いだのだろう。








時々あることさ
君が恋しい
ああ、時々感じるのさ
いつもそばにいてほしい
いつだって君は僕の元に帰ってきてほしい

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