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もんもんもこもこの冬支度


どんどんあたりが寒くなってくるとそれに合わせて、持っている衣服を組み合わせて対策を練らなければならない。一番衣服の組み合わせが複雑かつ煩雑する季節が冬である。
我ら人間はワンコやニャンころのように体毛を擁しておらず、わずかにあるのは頭のみでなんとも心許ない。かと言ってずっと冬の間中あなぐらで寝ていられるかというとそうでもなくて、外界に出て諸活動を行わなければならぬ。
どれだけ寒くたって冷蔵庫の中がすっからかんになれば食料調達に行かなければいけないし、そもそも食料を得るためには畑へ向かうか狩に出るか、若しくはこの国で流通している貨幣を使ってスーパーマーケットで交換しなくちゃならない。貨幣が無いなら木枯らし吹き荒ぶ中、仕事に出かけなくちゃいけない。とほほ。

しかし毎度毎度、冬が訪れる度に調達しなければいけないかと言うとそうでもなくて、何年か生きていると、幾らか衣服を住まいに貯蓄していることが大体で、季節がひとまわりしても耐えられるぐらいの持ち合わせがあることが大半だ。
人間の悲しき運命を呪いながら、外でもなるだけ難なく過ごせるように、持っている衣服を吟味する。
はて、去年はどうやって冬を越したかしらん。と毎年考えてしまっているしどんな衣服を身に纏って過ごしたいたのかを忘れている。クローゼットの中に首を突っ込んで、こんなので冬を越せるだろうかとだんだん不安になってくる。貯蓄はあるはずなのにだ。

僕は衣服を買うことがかなり少ない。他所様が何をどのくらい買っているの予想もつかないけれど、おそらく少ないほうだと思う。
よってクローゼットの中身は毎年代わり映えしない。
10年ぐらい使っているものもあるし、人様から譲ってもらったものをよく身に纏っている。
不思議なことに「洋服」というものには、人間の皮の外を覆うということだけに留まらず、それぞれの内面、趣味嗜好、意思を映し出すという不思議な機能も備わっており複雑な側面を持つ。だから貯蓄の中でも、破れておらず使えるのにも関わらず、お役御免なものが現れるのだ。年々、少しづつではあるけれど現役復帰が難しい引退するものが増えていき貯蓄は目減りしていく。
「今年こそは乗り切れないんじゃないか」
そんな不安があたまをもたげる。かと思えば生きているのが何よりの証で、これから迎える冬もそれなりにやっていけるだろうと呑気に思ったりもする。
僕はよく雨と雪が降る町で育ったからなのか、痩せ型の体型に似合わずそれなりに寒さに強いらしい。自分では着込んでいるつもりでも、人からそんな薄着で寒くない?と心配されることが多々ある。僕の出立ちは人より幾らか寒そうな印象を与えるみたいなのだ。(襟巻きが苦手でつけないというのも理由にあるのかもしれない)



これだけのことでつべこべい言うやつは疎まれるのは目に見えているのでここら辺で。

もんもんもこもこの冬支度なんです







追記
朝までどっぷりとお酒に浸りそのまま水も飲まずに眠りについてしまったとしても、二日酔いにならず起床したとき、とっても自分の体をほめたたえたくなりますね。よくやった、よしよしと。
(前回の「ぱくぱくもぐもぐあんぽん譚」のほうもぜひご一読ください)

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