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鼠は夜のうちに走ル



鼠は夜半のうちに走ル(仮)


1
田舎者は上ばかり向いて、歩いているものだからすぐにバレるというのは一昔前の話で、今は携帯に目を向けて、うろうろしているのが、余所者の可能性が高く、そんな僕は高く聳えるビルディングをボヤボヤと眺めつつ、且つ携帯電話を頼りによちよち歩いている。
よくもまあ、どこから湧いて出たのか川のようにして人があちらこちらで流れをつくり、どこもかしこもお祭りのごとく、てんやわんや、耳に放り込まれる雑沓は、暫くすると存外慣れてしまってむしろ心地よかったりもする。
しかし、何度来ても慣れない新宿。
宿は新宿のはずれにあってひっそり閑。
人がこんなにも集まっているのに其々周りに頓着なく過ごしているようで、それはどこの街でも大体同じで、現代において当たり前の事だろうけれど、僕がいてもいなくても同じ事、ちっぽけな自分は忽ちに街に紛れてしまうと、ここにいるとより強く思わされる。
何故だろう。慣れて仕舞えば都会の方が気楽なのかもれない。
荷物を置いてまた慣れない先程通り抜けた繁華街へと踵を返し、うろうろ。
立ち食い寿司屋に入る。
ほんのすぐそばで「路上テキーラいかがっすかあ」と路上テキーラ売りが威勢よく声を張り上げている。とんでもないところだ。
特価品なるカレイは一貫十圓。凄い。鯨、タコ、イカ、つぶ貝に小肌、玉に、のどぐろまである。
十人入れば満員のこじんまりとしたところに大将に、若い女性、ひとり、、ふたり。
大将に対して、店員さんはこの街にとけこんだ風体で、そのでこぼこがおもしろい。
2
本当に人が多い。お昼間にちょっとばかり休憩しようと思ってそこたらじゅうにあるカフェやら喫茶店やらを巡り巡ったのだけれど、どこも満席、それどころか十数人が列をなしていて、結局はいれずじまい。週末だからなのだろうけれど、僕の住む街では流石にこれほどまでにならないというのは、ここ下北沢の話、若者が集うところ、古着屋がたくさんあるところ、洋食屋の店主にオムライスを頼んだら舌打ちが飛んでくるところ(あらまあ)「今日オムライス最後だからね!ふんっ」
今日ははじめましての場所、沢山の演者。
3
神保町の宿をぬけだして辺りをうろうろするのは、本を探してるからで、ある雑誌のバックナンバーとボブディランの自伝目当て、しかしどこにも無く、というよりシャッターが下ろされているところが多くあって、今日は日曜日の筈だがお休みのお店が多いみたい。残念。
ボブディランの自伝は無かったけれど、見つけた同著者の処女作を小脇に抱えて、安い蕎麦屋に入る。水はセルフサービスということに食べ終わる頃に気がつき、コップに水を入れて、座る前に飲んでしまう自分が嫌になる。
なぜ座るまで待てないのか。
4
街によって街ゆく人々の様相が変わる変わる、、、
かわるがわる僕が持ちかえているのはアコースティックギターで、友人に御茶ノ水に連れてきてもらって、一応は買う心づもりで、色んなお店をまわる。友人というのは昨日共演させてもらった、ギターに博識なヒラマツ(たけとんぼというバンドをしている)、東京に行くたびに会っているかもしれない。
昨夜は神奈川のchitchatというバーで、二胡弾きの吉田さん、チャンポンタウンというバンドのギターリストで歌うたいのゴルゴスさんと共演させていただいた。御二方とも大好きな先輩で、スーパー二胡弾きの吉田さんとはライブ前に回転寿司を食べ、スーパーギターリストのゴルゴスさんとは夜通しヒラマツと共に呑んだ。
早朝に寝て、昼過ぎに寝床をぬけだして、楽器屋巡り。
幸い宿酔いにはならずに済んだのだけれど顔に大きなデキモノが、あらら。
マーチンDなんやら弾き比べ、そうかと思えば43年製のえぴふぉんを弾いてみたり、ぎるど、ほうほう、ふんふん、今度は日本製YAMAHAのはどうかしら、ほええ、いいですねなんて、ヒラマツの助言を大いに参考にしつつ色々弾かせてもう。どれも良いものだから決めあぐねてしまう。気づけば夜。おでん。
おでんやがぽつねんと光っている。暖簾くぐる。
ギターはおでんに移り変わり、これがちくわぶなのね、、美味しい、大根、こんにゃく、シュウマイはすり身につつまれてる、、店先に張り紙があった「カワハギの刺身あります」に倣って、カワハギを肝とワサビをのっけて頂けば、殆ど、よそうと決めていたお酒が思わずすすんでしまう。

店を出ると闇に溶けた往来を、ネズミが駆け抜けた。

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