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みえみえの見栄


人間というのは他の人間に良く思われたい生き物で、見栄を張るのやめる事ができない。
これを捨て切るのは至難の業で、かといって捨て切った先に栄えある人生が待っているのかというとどうもよくわからないし、この見栄こそが人間を美しく仕立てるに一役買っているのだということが少なからず言えるのだろうけれど、かと言って堂々と見栄張っていますぜなんて開き直った態度でいるのもまた違うし、虚栄心を持っていることにより、良心の苛責に苛まれることも、無いこともない。(なんのこっちゃ、ようわからんですね)
この見栄が本当に厄介だなと思うのです。しかし魅力的だとも思うのです。
「月と六ペンス」に出てくる絵描きのストリックランドは悉く気持ちが良いまでに、周りの人のことを気にしない。今風に言うと、クズ。
友達のいない(必要としない)はみ出しもの。だから周りの人に当然のように嫌われるし、たくさんの人を傷つけるが、そんなの屁のカッパで自分の表現、芸術にのみ生きる。子供、妻を捨てて絵を描くことに専心し、人に優しくされたってなんとも思わず平気で人の良心を踏みつけにする。そんな男。
画家のポールゴーギャンがモデルらしいけれど、実際の彼はどうだったのかしら。(ゴッホと仲良しだったと聞いたことあるくらいだから、創作であるだろうなとは思う)
そうやって生きぬける人はたとえ芸術家の中でも多くはないだろう。
「良心や道徳は人と社会を繋ぐ鎖である」という言葉が作中にでてくるのだけれど、虚栄心というのも、この鎖にあたるんでないだろうか。僕は虚栄で人は死ねると思っている。
死ぬのに虚栄さえあれば十分。
文章を自由に書くと言ったって、この鎖を全て断ち切ることは中々できない。選んだ言葉を並べ、切り貼りして体裁を整える。やはり文章というものは恥ずかしい。自由に書けば書くほど恥ずかしい。
それならば何故書くのかというと恥ずかしいからである。この鎖を振り切ろうとすればするほどに、自由を感じるほどに、世間体が悪くなる。僕は世間と離ればなれになることができないみたい。いつまで経っても、どこまでいってもやはり恥を恐れてしまう。これは逃れられないのでしょう。この文章だってもちろん、虚栄や見栄が潜んでいます。こんな閉ざされた、あなぐらのようなまっくらな場所にだって、少し先には世間があるのだ。
世間の風がすきま風のように辺りを取り巻く。
ふわあと。

先日、兄弟からもらった沖縄旅行の土産の泡盛を呑みたいなと思いたって半時間後には炭酸と氷を抱えて商店から帰ってきた。
棚を開ける、、が、主役の泡盛の姿がない。
あれま、どこいったかしら。
最近お掃除してない、とっ散らかった部屋をぐるり見わたす。
ちょびっと呑んでそれから、どこにやったのだろうか、てっきりいつもの棚にしまっといたものと思っていたが、何度見ても棚の中には無い。イヤホンはすぐ無くす、財布は道端に落っことす、鍵は置いてきぼり、先だって貰ったコウバコガニを失くしたとは思ったけれど、それは流石に失くしていなかったから、泡盛も紛失してはない筈、、、。
だけれど無い。人様のお家に持っていった記憶も無く、ギターケースの中、クロウゼット、寝床をひっぺがしても見つからず、それより僕と踊りませんか、なんて言ってるともう夜で、その日はもう諦めて、呑めずに不首尾に終わる。
探すのをやめた時に見つかることもよくある話でと、井上陽水が歌っていたけれど、まさにそうであった。
後日、溜めてあるゴミ袋に空き缶を捨てようとした時、袋の中に空になった泡盛の酒瓶があったのです。驚愕。恥。


たくさんの空き缶にまみれた、空の瓶は月明かりを溜め込んで膨らみ、まるで透き通った僕の体みたいであった。











追記
7月2日(日)京都DEWEY
鍵盤、ウッドベース、エレキマンドリンの四人編成で参加します。

実は音源でもライブでも参加いただいているウッドベースの加藤さん主催のイベントでして、彼はあっちこっちでひっぱりだこのベーシストなので、いろいろなバンドで弾いているわけです。加藤さんが参加しているバンドが一堂に会したにぎやかなイベントになっております。
ぜひお越しくださいませ。

出演
よしこストンfam
松ノ葉楽団
谷澤ウッドストック
いちやなぎ

14時start/2500+1drink

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