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食い倒れ的小論文





1 序論

序論はこう!


飯を食うのは大事なことで、命を明日へと持ち越すに必要不可欠な行為であるはずなんだけども、昨今、というか、いつ頃からか、もう僕の物心ついた時にはそのきらいがあったように思うのだけれど、この命を継続させている行為に対する敬意のようなものが希薄であるなあ、と漠然と思い起こしてみたが、それも致し方なし。
現代、飽食、娯楽多角多用、時短、効率。
と、決めつけてしまうのもなんだか寂しい。何がと問われると答えるのに困ってしまうけれど、とにかくなんだか漠然としない蟠りがある。恭しくなんていかずとも、へっぴりごし現代人なりの心の持ちようを今一度、見直さなくちゃいけないのではないか。なんて。
「テレビを見ながらご飯を食べるのは行儀が悪いからやめなさい」なんて言われた人も少なくないはず。
そんな注意してくれる親元を離れ、一人で食事をすることも多くなった今は、インターネットで動画をみながらもぐもぐ。これが大体で、たまにテレビ。
やっぱり良くないんじゃないかしら。
人とお話をしながら楽しく食事をする時間が必要なのと同じように、食うことに専心する時間も必要なのではないかしら。ふと考えた。

なにごとも専念したほうが、より身になる筈で、例えば動画を見ながら飯を食うとしたら、脳は動画の内容を理解しつつ、飯の処理をしないといけないわけで、大変忙しい。
となると何方かがおざなりになりやしないだろうか。
コメディアンの卓越された軽妙なジョークを聞き逃さないで、口に含んだ唐揚げの、にんにくの奥に隠された隠し味を知覚できるのかというと、(そもそも味音痴なのだといことは置いといて)僕は自信がない。
もっと話しを飛躍させると、口に含んだ後の諸々の消化活動に影響しやしないかということだ。「ながら食べ」をすると体が消化をする準備をするのが遅れて最悪、栄養素を取り逃がしてしまうことすらあり得るのではないかと心配だ。
僕の体なら、食事に集中したとて粗相(栄養を取り逃がす)をしそうなのに、それを兼業でやっていけるのだろうかと甚だ不安なのである。
見ることに集中した時は食ってるものの味がよくわかっていない、、ような気がする。どうだったろう。
話に盛り上がった時、ご飯の味ってどんなだっけか。みんなで食べると美味しいというし、美味しいのか。味わえているのか。あれは食卓を囲んで幸せを噛みしているのではないだろうか?味でなく。

いったん、僕の中での問題は孤食の際のながら喰いとする。
何を食ってるのか分からずに渡された消化器官の方もやる気がでずに、ながらで、やっつけ仕事するかもしれないし、連携がうまくいかないのではないだろうか
現代人の生活習慣病、栄養の偏りは何を食べるだけでなく、どう食べているかというのも一因としてあるのでないかしらん。
もしそうだとしたら、学者さん顔負けの大発見ということになるワ。

くだらない事を頭に思い浮かべながら、いったん、飯を食うことに専念してみる。もぐもぐ。もごもご。咀嚼音が頭の中か外、もしかするとその両方に響く。
噛むかむ噛む。
それなりに噛み砕けたら飲み込む。
繰り返す。
噛んでいる間はどこを見てようか、次に食うものを獰猛に睨みつけようか、「次はお前ダゾ」、いっそ、微笑んで「ここは一つ宜しくどうぞ」なんて、挨拶を済ませておくべきか。

食事に専念するって思いの外、難しい。

2 本論

本論はそう!



たわけ1「でさ、意識的に飯を食うようになって分かったことがあるの」

たわけ2「ほう、何がわかったの?」

たわけ1「他に何もしないでよーく噛んでっとね」

たわけ2「ふんふん」

たわけ1「味がよくわかるようになったの」

たわけ2「よくってのは、具体的にいうと?」

たわけ1「所謂ファストフードってやつだったり、インスタントラーメンの味がさ、よーくわかる」

たわけ2「そんなの俺だってよーくわかってるつもりでいるけど、俺とおめえじゃ何か違うのかい」

たわけ1「インスタント焼きそばが好きでよう、よく食べてんだけどもね、あれを、食うことに専念してみたの、よーく噛んでさ」

たわけ2「ほうほう」

たわけ1「ほしたら、噛むたんびに不味くなるんだよ、食ってすぐは美味いんだぜ?だけれど、ちゃんと噛んでっとどんどん不味くなる、、」

たわけ2「ほえー、そんなもんかね」

たわけ1「化けの皮が剥がれてんだよ、ありゃ。ちゃんとした手料理はな、米でもなんでもいいよ、噛むたびに旨味が出てくんだよ。インスタント麺にゃあそれがねえ」

たわけ2「にわかには信じがてえがなあ」

たわけ1「あらあ、だまくらかしてんだよ!舌をよおおお、騙されてんだ!俺たちワ!!!」

たわけ2「急に大声出すない、隣から苦情がはいっちゃう、この前だってお前が酔っ払って騒いだせいで大家に怒られたんだから、、、」

たわけ1「おめえも目覚ませ!そんなもの食ってとなあ、アホになるぞお」

たわけ2「やめろっ、ったわけ!、食いかけのカップ麺なんか窓から捨てるんじゃない!ここは五階だぞ!」



3 結論

結論はこうして、こう!



ひと昔前まで男が日傘をさすなんて考えられなかったが、ここ数年、夏場の日射は凄まじく老若男女関係なく日中出歩くには日傘をさした方が身の為であろうという考えが世間に浸透してきた。
日傘をさす人をよく見かけるようになり、中年である彼が日傘をさしていてもなんとも思われない。
あと100年もすれば外を出るのに防護服が必要となり、外出は陽が落ちてからになるのだろう。太陽が高いところにあるのを人類がありがたがっていられるのも、そう長くないかもしれない。人間が活動できる限度を越した酷暑が長らく続いている。

一夜脱ぎ(いちやぬぎ)は買いたての日傘をさして買い物へ。
道すがらすれ違う人もみんな日傘をさし、もちろん中には男性もいる。すたんだーど。
野良猫はどこかになりをひそめ、公園に子供達が遊ぶ姿がなく、がらんどう。この暑さじゃあ仕方がない。誰も外には出たくはない。
日傘もささずに手押し車を押しながら俯いて、とぼとぼ歩く老人をみると心配になる。室外機が熱風を吐き出し、涼しい室内を想いを馳せる。

玄関先から放水。湿気た通り、植木鉢の朝顔を通り過ぎる。


のそのそ歩いていると、空からなにかが落ちてきた。
鳥のフンではないのがすぐ分かった。これが鳥のフンであるならば、シンドバットの冒険に出てくるようなワシでないと説明がつかない、ぐらいに大きい、ずっしりとした手応えがあった。
それは買いたての日傘にボトボトと落ちてきた。助かったという心ゆるびと、買ったばかりなのにという失意と、なんだ一体という怪訝が同時に起こった。
落ちてきたのは食いかけのカップ麺やきそばのようだ。はじめミミズかと思いギョッとしたが、よくよく見るとそれは紛れもなく焼きそばだった。白いカップが少し離れたところに落ちている。熱されたコンクリートにばら撒かれた麺は、暫くすると本当に焼かれてしまうかもしれないと彼は考えた。
一夜脱ぎは、日傘に乗っかった何本かの焼きそばを払う。強い日差しが目にしみ、更に染みがついた傘をみて舌打ちをした。
こうも暑いと何も考える気にもなれなかった。
焼きそばをそのまま残し、スーパーマーケットに向かう。なぜ空から焼きそばが?異常気象はとうとう空から焼きそばを降らせるまでに至ったのだろうか。

スーパーマーケットの店内は涼しく、先ほどまで失せていた食欲がムクムクとせり上がってきた。
ぐるり店内を見回して、彼は結局ワゴンセールで叩き売りされていたカップ焼きそばを買うことにした。
もちろん、空から降ってきた焼きそばに誘発されたのであるが、一度涼しいところへ入って冷静になってみると、空から焼きそばが降ってくるなんて面白いこともあるものだなあと、楽しむ余裕が生まれたのである。
加えて彼は最近、ある考えからカップ焼きそばを食うのに夢中になっているのであった。

空調の効いた家に帰った彼は早速、湯を沸かし、カップ焼きそばをつくる。三分間待つ間に、コップに冷たい麦茶を注ぎ、自らが作った新生姜の甘酢漬けと、らっきょうを小皿に出し、自家栽培の青ネギを刻んだ。まな板と包丁を洗ってる間にタイマーがなり、湯を切る。先ほど用意した薬味を乗っける。
彼は少し前まで、ファストフードだとか、インスタント食品の類を毛嫌いしていた。畑で野菜をつくり、ぬか漬けを拵え、味噌や納豆を手前でつくり、時には車を走らせて、山まで狩りに出ることもある。
それが人間本来の生き方であると信じ、糠漬けを食うときには先人の知恵に、生命に感謝に、人類の叡智を、即ち文化に思いを馳せ、食らっていた。自分にまで繋いでくれた人の営みを愛し、それこそが彼の精気を養っていた。対して現代の画一的な飯は味気なく、愚昧であるとそう考えていた、のだが。
同じ味をいつでも、どこでも、食うことができるというのも人類の尽力の賜物ではないかと。ある時手にしていた缶ビイルに気付かされた。
酵母菌が織りなす生成物。味が安定せぬ自前の糠漬け、菌を扱う上で安定した味をつくるのは至難の技ということを彼は知っている。しかし手にしているビイルはいつだってどこで買ったって同じ味だった。異常である。異常が常態化しているこれは超常現象である。人々の知恵、努力の結実、その一雫ではないか。
「俺は今、愛しき、人々が織りなす文化を飲んでいる!飲ませてもらっている!!」一夜脱ぎは嬉々として黄金色に輝く芳醇なる智の結晶をがぶがぶと一気に飲み下した。超常現象を起こして、開発に至った技術者たち、プロモートした企業、仕入れたスーパーマーケット、彼の近くまで運んで来てくれた人々に思いを馳せて。
それは、おにぎりだって、カップ麺だって、ハンバーガーとて
同じこと。彼では到底考え付かぬ、精緻なプログラムが万物の自然の如く広がりを見せていた。そう思うと嬉しくなった。
眼前に広がる景色に奮い立った。

「世は広い!広いんだ!広い広い!万歳万歳!」

一夜脱ぎは今日もカップ焼きそばをすごい速さで食い切った。







一体、小論文とはなんです?

















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