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ゆけ!怪人フツウダー


「私は普通の大人になってしまっていく」

と久方ぶりに会ったその人は言った。よもや話の種の一つとして僕に話してくれたのかもしれないし、どれほど本気で言っているのかは窺い知ることはできかねたが、幾らか気落ちしているようでもあった。(本人に許可も取らずに書いちゃってるが、読んでやいないと思うからこっそりと書きつけることにする)
彼女が言うには、最近ジムや整体に通いだしたとのことだ。休日は好きなアニメを見るらしい。はたから聞いてると、なんとも、、結構な事じゃないかと思ってしまう。体を気を気遣って肉体を動かして、余暇にアニメを楽しむ。程々にはつらつと、まったりと、それでいて平日は会社に出社しているのだ。
なんにも問題らしい問題が見えてこない。(さらに彼女は並々ならぬ特技を持ち合わせており、けっして僕の思う普通の人には当てはまらない)

と、ここまで考えたところで、僕自身も昔っから「普通」という存在に対して恐れ慄きひれ伏し、どうにかこうにかしたいと思い続けて今まで生きてきたなと言う事に、はたと気がついた。気がついたというより、ずっと感じてはいたのだが、あらためて考えさせられたのだ。問題らしい問題がないからこそ「普通」という魔物は厄介なのである。
みんなこの普通という言葉に対して大なり小なり思うところあるのではないだろうか。
「普通」とは一体なんぞやと。

どなたか普通100%の人物を是非此方に寄越してほしい。その人と生活を共にして仔細を眺めてみたい。おそらく何処かに普通とは逸脱した何かが見え隠れするはずだろうと思う。普通はね。大抵はそうだということは普通100%は中々普通で無い存在、あり得ないことなので、真の普通人間であるには、程よく普通で無いところがありつつ概ね普通だという人間だということであろうか、、、その普通と普通で無い配分が普通であればあるほど、普通の人間になりうるのであろうか、、、
ここまでにしておきましょう。普通の人なら頭がおかしくなるから。

自分の思う普通と他人が思う普通には、小さなズレがあるだろう。社会通念に沿った考え方、思考、行動様式を持つ者が「普通」にあたる人間がなのだろうけれど、社会は時と共に流れていくし、考え方は変わっていくだろうから普通も変遷していく。「普通の髪型」っていったって何通りもあって、そしてこれからも変わり続けるだろう。同時代に同じ文化圏で生きていたって人の考え方は千差万別で全く同じ思考を持ち合わせている人間はいないだろうから、こんなおばけみたいな実態のない存在に囚われてしまうから、ややこしくなっちゃうのだ。海外に行って、自身をとりまく普通から物理的に距離を置くということもできるだろうけれど、それには体力、気力、胆力が必要になるだろうし、また別の煩雑が伴う。
となると普通と程よく仲良くやる他ないように思う。普通だから、退屈でつまらないのだという短絡的な思考がまた、よりつまらなくさせてしまう。

普通でない事を考えながら、普通に振る舞い行動する人間はこれ如何に、、普通な人なのかしら?普通を振る舞うのは普通じゃないからであって、だけれども外部の人間がその人が普通かどうかを見分けるには、行動や言動見るしかなく、、、、、。
普通という言葉はたぶん便利グッズなのだろう。人間がつくりだした便利記号。結句、考えないのがいちばん。(なんて言われても納得しないよねえ)

音楽をやっているとおおよそ考えられる普通といわれる感覚とは逸脱した人間によく出会う。けれど人間の道を芯から外れている人は未だ会ったことはない。敢えて外すみたいなとこだろうか。だからと言ってそんな類いの人間が普通なのかと言われると、、。うーむ。








追記 

怪人フツウダー誕生の巻

おたんこなす博士はついに長年の研究の末、人造人間フツウダーを造り出すことに成功した。フツウダーは全人類の行動様式をサンプルとしてインプットしており、全ての行動は普通に集約される。みんなのお手本となるべく、全人類をお助けするのだ!

「さあ出てこいフツウダー!」
赤いボタンをポチッと押すと、大きなカプセルが開いて、仰向けに寝かされていたフツウダーが起きた。目をこすりながら重そうな瞼をこじ開けて一言。

「さむっ」



頑張れフツウダー!






追追記
この文章に40回近く普通という言葉が使われています。これは普通なのでしょうか。

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