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魔法はいつまでもどこまでも


マジック、魔法。

マジックペン。サインペンというのもあるか。マーキングペンの呼称、、品名か。
サインペンというよりマジックペンという呼び方のが好みだ。マジックに胡散くささと近未来感があって、マジックハンド、マジックドラゴンのパフ同様ちょっこしSFチックでサイケチックな風合いだ。

マジックインキはどこにでもどんなものにも書け、インキの補充なしに連続筆記可能、すぐに乾き、雨でも取れない魔法の筆記具

寺西化学工業株式会社「誕生日物語」より

安くて手に入るけれど、何文字も書ける。
思えばかなりお得である。あまりにお得なもんだから得意になって、ひょいひょい〜と無駄な文字や出鱈目な絵を書いちゃう。書道を思い返してみたって墨汁を硯になみなみと入れたってすぐになくなってしまうし、墨で書いていた時代はもっと文字そのものに価値があったのではないだろうかと思ってしまう。
現代だとインクすら必要なく、デジタルの上であるならば、ほぼ無限に文字を並べることができてしまう。SNSやネットの上に並べられた文字が何となく軽く、ファスト的に思えてならないのはそういう事なのだろうか。
画一的な綺麗なデザインで無個性な文字という点ではデジタルも印刷された紙媒体も変わらないのだが、よりデジタル上のもののほうが軽い(と感じてしまう)
とは言いつつ、字が汚い悪筆家である僕はだいぶデジタルの文字の恩恵を受けているので、決して手放すことはできないしデジタル文字には感謝でいっぱいなのである。ありがとう、これからもよろしくねデジタル万歳。万歳三唱。

家の近所の湯屋には浴場に従業員さん達が綴った手作り新聞が貼られているのだけれど、記事毎に文字の癖が違って、文字にその人が入り込んでいるような気がして、読んでいると心あたたまる。うんうん、やっぱり手書きに限るよ、、こうでなくっちゃあ。
とどっちらけ、どっちつかずのハンパ者になってしまう、、。
僕はこれをネット上にあげているわけだけれど、僕はここに文字を並べはじめる時から紙媒体になる前提で書いている。だからここに書きつけて終わりだとは思っていなくて紙への憧れは捨てきれないでいる。(実現するかは甚だ不明)
というのも、ネット上の文字は落ち着かないというか、どこか地に足をつけていないように感じてしまうのだ。此処に書きつけて終わりにするのはなんだか物足りない。

デジタルの概念が無かった時代には、マジックペンは魔法のようにかけてしまうペンだったのには違いないだろうが現代っ子の僕はそれを胡散臭さと、とってしまった。が。それは許してほしい。現代っ子なんだもの。
もう現代において魔法たらしめ、みんなをあっと驚かせるには「きれないインク」くらいでないといけないのかしらね。

あとは空中に書けるインク?もうそろそろかしらね。








追記

80年代後半あたりの作家のエッセイを読んでいると、原稿を遂にパソコンで書きはじめただとか、変換が阿呆で困るだとか、手書きの方が実は早いじゃないかだとか言ってて面白い。

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