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不良パスタ

手抜き飯としてのパスタをよく食べる
麺をゆでてレトルトのソースをかけ、さっとオリーブオイルで炒めるだけだ。最近のレトルトの進歩は素晴らしくて本当に美味しいものが多い。ケチャップをどばっとかけてナポリタン風にしたり。ごくたまに、ホールトマトの缶詰めを買ってきてソースにしたりもする。

男性の方なら理解いただけると思うが、パスタ一人前だとちょっと物足りない。ので、僕は基本的には二人前ゆでて食べている。パスタに限らず麺類は一人前だと足りないのだ。うどんや蕎麦でも二人前茹でるし、焼きそばをつくるときだってそうだ。なぜだかパスタのレトルトパックは二人前用のが多い気がする。

ことに麺類においてパスタのみ、大盛りが「似合わない」「似つかわしくない」と僕は考えている。わけがわからないことを言うなと思う人がいるだろうが、僕もそう思う。

大盛りラーメン、かけ蕎麦、うどんはある種の男らしさみたいなものを感じるし、大きめのザルに盛られた大盛りの蕎麦やうどん、素麺は家庭的な雰囲気がただよう。たいへんよろしい。
大盛りの焼きそばは豪快に感じられる。それが鉄板の上であったならなおいっそうのことである。お祭りというイメージが手助けしているところはあるかもしれないが、、。ところがパスタの大盛りとなると、サイズ感の合ってないスーツ、若しくは入学したての男子中学生の学生服を連想してしまう。なにか板についてないのだ。特にこれという理由は無くて困っている。そう感じるのはなぜなんだろうか。自分でもよく分からないのだ。皿に盛られたパスタを見て「お前似合ってないよ」と言いたくなる。

先日小腹が空いた時に珍しく一人前のナポリタンをつくったとき驚いた。皿に行儀良くまとまり、ほんの少しの気品すら感じさせるその様はまさに独り立ちした「一人前」のパスタであった。いつもぼくが食べている二人前パスタは「半人前」感があるのに(ややこしいですね)見違える程によくなっていたのだ。一人前のパスタが挨拶に来たのなら、娘をやってもいいと頑固な父親も納得することだろう。しかし二人前パスタが来たならば話は成立しないに違いない。なんだかだらしがないからだ。

もう一つ言えばパスタは「湯気」も似合わない。他の麺料理は湯気をボーボーとあげていると、大変美味しそうに見えるが、パスタに至っては、大量の湯気をたたせているとなんだか品がないように思う。不良である。
微かにふんわりと漂わせているのがちょうど良い。湯気をボーボーとたたせた大盛りのパスタはもはや、パスタであってパスタにあらずなのだ。
そんなこと思いながら僕はパスタを大盛りにして食べる。

追記
お店で大盛りお願いをするのってスタイリッシュさにかけますかね、、。
かっこつけたい時には言わないでおくのがいいのかな。





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