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夏と死

僕は一度死にかけたことがある。
正確にいうと、僕たちは死にかけた。
人は案外簡単に死ぬ。それは自然の力を持ってすれば尚の事だ。

僕の地元は石川県で、家から自転車で行ける距離に内灘海岸という海があった。
そこは十数年前(僕が中学生だった当時から差遡ること)内灘中学校と、僕の通っている中学校の不良達が新聞沙汰になるほどの大乱闘を起こした海岸で夏には不良達がよくたむろしていた。
そして毎年人が死ぬ。そんなところだ。
しかしとんでもなく恐ろしい場所というわけではない。砂浜には夏の足跡というべきか花火の残骸や空き缶がいくらか散乱していている、日本のいたるところにあるであろうなんてことのない海岸である。日中は家族連れだって沢山いる。

海に良い悪いもない。

毎年人が死ぬというのは離岸流のためである。
離岸流というのは海岸に打ち寄せた波が沖へ還っていく潮の流れのことで、これに捕まってしまうと一気に沖へと連れてかれてしまうのだ。毎夏、死亡事故がニュースで取り上げられていたことを記憶している。とくに若い人が多かったように思う。仕方がないことだと思うが友達といると調子に乗ってしまうからなのかもしれない。

ある日部活動の先輩からこんな風な話を聞いた。
海岸線を歩いていると海の方から微かに声が聞こえてきた。目をやるとおじさんがバシャバシャと一人ではしゃいでいた。一人ではしゃいでるなんておかしいなと思いながらも、何と言っているのか聞き取れずにそのまま通り過ぎた。
次の日、中年男性が離岸流に流されて死亡したというニュースが報じられた。
死んだ男性と海で見かけたおじさんが同一人物なのかは確かではないのだが、海岸線を歩いていた時刻を照らし合わせてみると同一人物の可能性が高いのだという。
先輩からこんな話しを聞かされててさえどこか僕は他人事のように感じていた。夏によく聞かされる怪談話とそう変わらない受け止め方をしていたのかもしれない。

夏がゆったりと進み始めたある日、まだ海開きはしておらず海の家がたてられてなくてライフセーバーもいない時期だったが、暑さにたまらなくなった僕たちは海水パンツを履いて、渡鳥のように群れとなり海に向かって自転車を漕ぎだしていた。
誰かが大きな大きな浮き輪を持ってきていたので、ひとしきり遊んだ後はそれに捕まってぷかぷかと浮いて波に揺られがらみんなでお喋りをしていた。
ふとした時一人が地面に足がつかないということに気がついた。
お前の身長が小さいからだろうと最初は戯れあっていたが、その中で身長の高い方だった僕も足がまるっきりつかなかった。
そこでかなり沖の方へ流されてることに気がついた。
冷静さを失った僕たちは浮き輪を離して浜へと自力で泳ぎ出した。(今になって思えばそれが良くなかった)
7.8人ほどいたみんながバラバラになっていく。大声で助けを呼んだとしても波の音に攫われてしまい虚しく、雑音として夏の空へと吸い込まれてしまう。誰かが何かを叫んでいるがよく聞こえない。
僕はもう二人と一緒にどんどん沖に流されていった。
一人が沖縄出身で泳ぎが堪能だったので肩を掴ませてもらったりした。僕は泳ぎが得意でないので長いこと泳いでいられる自信はなかった。
もう一人がぼそっと
「死ぬ」と何度か言った。
波の音に紛れた小さくか細い声を確かに聴いた。普段ひょうきんな彼から搾りでたその言葉はまるで埃のようだった。
僕も死ぬかもしれないなと思った。頭の中が静かになる感覚があった。
何度も何度も潮水を飲んで口の中が痺れて乾いていく。

僕たち3人は潮の流れに乗って、よこっちょにどっしりとかまえていたテトラポットに打ち上げられた。(波の勢いで硬いテトラポットに頭を打ち付けられて死んでしまうケースもある)
体を血だらけにしながら必死にしがみついてなんとか3人とも這い上がることができた。
僕たちとは違う方向へ流されていった友達もサーファーに助けてもらったりして、幸いにも誰も死ぬことがなく陸に上がることができた。

僕はあそこで「生き残った」なんて思い上がってはない。毎年死んでしまううちの一人に、たまたまならならかっただけだ。閻魔大王様が天国と地獄を決めるような明確な線はひかれてはいないだろう。海はいつもの海だった。海は僕たちを殺そうとしたんじゃない。いつも通り吸って吐いて呼吸をして寝返りをうった、ただそれだけなのだ。
僕の生き死になんぞ海からしたら鳥が空で羽ばたいているのと変わりはないだろう。
この頃ぐらいから自然に対する畏敬の念を抱くようになった。悠久の自然の前では自分は小さすぎる。と。
自然を舐めていた自分にお灸を添えたつもりなぞこれっぽちもないだろう。これも思い上がりだ。自然は舐めている人間もそうでない人間の前でも同じ振る舞いをするだろう。
海のように大らかでありたいなんて思うことがあることがあるけれどそんなのとんでもない話しで、ただあるのは憧憬の情だけだ。
もうこれは10年以上の話で、今では記憶が断片的且つおぼろげになっている。
ただ自然に対しての畏敬の念は忘れていないつもりだ。



うみは ひろいな
大きな
つきが のぼるし
ひがしずむ

うみは おおなみ
あおい なみ
ゆれて どこまで
つづくやら

うみに おふねを
うかばせて
いって みたいな
よそのくに






追記
書きかけのこの文章を富士山の九合目の山小屋の中で書いた(ほんの数行だけどね)
意識はまったくしてなかったのだけれど、たまたまそんな文章を書いていたもんだから、なんとなく登りながら頭の中で考えてしまった。

登ってる最中は悪天候で雨が横殴りに降ったり、霧によって視界がさえぎられて景色を楽しむことができなかったし、ご来光を拝むことも叶わなかった。
人によれば運が悪かったと思うかもしれない。
ぼくは全くそうは思わなかった。
僕がお客さんの前で見せるライブとは違う。自然なのだから。
それでも、雲がひらけて暫く雄大な景観を見せてくれたりもした。そんな自然の振舞いに心動かされた。


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