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晦日正月ぐうたん日記 3


31日

実家。金沢。
先日降ったらしい雪は街の隅っこに微かに残る程度で、京都よりは寒いものの例年に比べ穏やかな気候で過ごしやすい。と思っていたら、やはり北陸の冬、そんな単簡にはいかぬ。
雨ふりふり。大雨。
昼から父、兄家族たちと大型ショッピングモールへ。そういえば普段あまり行かない。
みんなでぶらぶらする。姪っ子から「パン泥棒」なるものを教えてもらう。すっごく可愛くて是非、今度絵本を読んでみよう。
そんな彼女はすみっこ暮らしが大好き。

スーパーボール掬いのクレーンゲームを姪っ子たちと興じてたくさん掬う。
大型ショッピングモールのフードコードすぐ近くには、子供洋服売り場、ゲームセンターがあって、さすが抜かりなく、用意周到。人気キャラクターのベビーカーは争奪戦。僕には馴染みのない世界だ。

実家からほど近くの大型銭湯へ行くも晦日は短縮営業とのことで、慌ただしく湯に浸かる。湯に上がってからみんなで肉を焼きにいく。
帰ってから、だらだらと年越しを待つ。
笑ってはいけないも格闘技もテレビでやってない。
僕だけ一人酒を飲む。兄は昨夜しこたま呑んだからと今夜は呑まぬ心づもりらしい。
ぶ厚めに削ってある鰹節、白子、おせちをフライングゲットで、ビイルと日本酒をいただく。
まだ2歳にもならぬ甥がこんな時間まで起きている。
さっき肉を焼いている時にぐっすり眠ったからだろう。そんな甥は昨夜、夜半に起きて、何もないところを頻りに指をさしたり、誰もいないのに、さも向かい入れるようにドアを開けにいったりしていたけれど、一体何が見えているのかしら。
年越しの直前に父が小水に立ったので、用を足している途中で年を越した場合、今年最後の小水となるのか、今年初の小水とどちらにだるだろうとくだらない事を考える。終わりと始まりを兼ねるしょんべんなのかもしれない。
無事年越し前に父は帰ってきた。
年越しそばを年越し直前に食うというのは、うちだけのしきたり(だと思う)それもざるそばに、辛味強めの大根おろしを乗っける。
あけましておめでとう。
日を跨いだと同時にみんな寝てしまう。僕は少しだけ一人居残りでしんみり呑む。
昔は年越しにもっと心躍らせていたけれど、今はたんたんと、いやはや寂しい、、、無情に過ぎ去ってしまう。
何にしてもそうか。慣れるというのは良いことばかりでない。


元日

お年玉を甥っ子姪っ子に渡し、祖母(甥と姪からするとおおばあば)がやってきておせちをつつきながら過ごす。
祖母は今年92歳。お喋りが達者で、お友達と長電話もするみたい。夜中の3時に携帯電話の操作ミスで間違えてワンコールだけ友達たちにかけてしまったら、友達からすぐ折り返しの電話があったという。
祖母の話にはしっかりと落ちがあるものが多く、聞いていて面白い。
みんなでアイスを食べた後に祖母直伝のかぶら寿司の作り方を伝授してもらう。この味はどうしても絶やしたくないのだが、後継者がいないというので、僕が教わることに。
なんとか作れるようになりたいところだが、どうだろう、レシピになっていない部分が「いつもの味」たらしめるのに大きく作用すると思うのだ。まあ、やるだけやってみよう。
初詣にいくも、神さんが大売れで、長蛇の列をつくってるものだから、流石に並んでいられないと、遠いところから手を合わせていたら、列をなす人たちに白い目でみられた(気がした)
御籤は小吉。僕は一体いつになったら大吉がいただけるのだろうか、とんと大吉を貰えていない気がする。それに反して父は長年ずっと大吉らしい。

ここまでは実に元日らしく、ほのぼのと過ごせていたが、とんでもない日になってしまった。

母は家に、兄家族は公園へ遊びに、僕と父は、今浜の海水浴場近くにある風呂屋に、それぞれがいったんバラバラとなる。

今浜の風呂屋は天然温泉の露天風呂があって、だいぶ湯が熱いのだがこれがまた気持ちがよい。熱いので出ては入ってを何度も繰り返す。

風呂場が揺れた。
おや?湯に浸かりすぎてのぼせたかしら?と思ったが、違った。暫くすると巨大な揺れに変わり、浴槽の湯は暴れてばしゃばしゃ大しけ、動けない。
これまでに体験したことのない、ただならぬが地のうねりを味わい、その場にいる誰もが顔を引き攣らせ、その場につかまることしかできないでいた。
大浴場の風呂釜の湯が半分ほど無くなってしまった。
揺れが治るとすぐ番頭さんが血相抱えて浴場に入ってきて「逃げてください!」
頭や体を洗わぬうちに、浴場から出ることを余儀なくされ、風呂屋を飛び出した。
車の中で流れる緊急速報。家族全員と連絡がついて安心するも、後にやってくるかもしれぬ津波に気が気でない。
町中、携帯、テレビジョンで緊急アラームが鳴り続け、尋常ならぬ事態を絶えず知らせる。
街がひんまがってしまった。
コンクリートが揺れにより隆起して、自動車が通れないところがあちこち。回り道をして金沢市内の実家に帰らざるえなくなった。
途中トイレに寄ったコンビニエンスストアには、客でごったがえし、持ちきれないほど買い込む人がいる。
大型ショッピングモールの灯りは消えて、沢山の自動車がでてきている。反してショッピングモールの屋上に登る車の灯りがちらほらみえた。
停電しているところが多々あって道が暗い。
街が混乱しているようだ。

実家に家族全員集まった後、祖母の安否確認もとれた。本当に良かった。
家よりもう少し高いところにある避難所にみんなでかけこむ。(僕の実家は、中洲というか島みたいになっていて、家のすぐそばにはほぼ海の川があるのだ)
津波の恐れがなくなるまで暫し、身を寄せさせてもらうことにした。こうやって有事の際に地域の人たちだけで、避難所なるものが機能するなんてすごい。
暖房も完備されていて、甥っ子姪っ子は楽しそうにはしゃぎまわってくれるから、心持ち明るい。
兄は「俺が持ってきた食料、高値で売ろうかなあ」なんてぬかす。(そんな彼は次の日隆起した、コンクリートで車をパンクさせてしまう)
そしてこれは家族の誰にも言ってないのだが、父親が避難しようと、家族が家の中をバタバタと忙しなくしている時に、真面目な顔をしながら、思いっ切りのよい豪快な屁をこき、僕は不覚にも笑いそうになるのを必死にこらえなければならなかった。

避難所の蔵書の中に、筒井康隆の虚人たちがあった、なんでこんなところに、、。
これ前から読みたかったんだよなあと頁をくる。小説の中の人物が、自分は小説の中にいるのだという自覚を持つという作品。僕も誰かの物語の中に組み込まれている一つなんでないかしら。
結句、実家で寝ることにして戻った。
夜飯にと、用意してあった刺身や肉などをあらためて食った。やたら肉がうまい。
眠りについたあとも、揺れて何度か起こされた。友人やsnsで気遣いの声をもらって大変励まされた。実家の家屋は無事で、灯籠が壊れたくらいのもので、家族の誰も怪我なし。何よりだ。

とんだ正月になってしまった。
僕たち家族はまだマシで、家や家族の命を亡くしてしまった人たちがいるのだ。




部屋の引き出しに高校生時分に書いた日記がでできた。元日からはじめて約半年ほどしか続いていない。
せっかくなので人物名は伏せて、原文のままのっけてみることにする。

1月1日

今日から日記をつけることにした。
小学校の時は一ヶ月でやめてしまったので一年は続けようと思う(注:続きません)
去年あたりからより、おせちが好きになった気がする。
前日、兄が大阪へ帰った。とうとう兄の身長を抜かしたのだが、思ったほど嬉しくなかった。
兄におやすみぷんぷんという漫画を勧められて読んだ。最初わけがわからなかったが、面白い漫画だと思う、続きが読みたい。
ブックオフで買った村上龍の限りなく透明に近いブルーは今読んでいる本が読み終わったら読もうと思う。
年賀状の数がかなり減ってショックだ。自分で出さなかったというのもあるが。
名古屋の友達の年賀状がとうとうYだけになってしまった。さびしい。
年々、正月のワクワクした気持ちが少なくなってきている。
年明けてから4時ごろまでSと彼女がほしいだのどうだのとくだらないメールをしていたのだが、僕は不思議と寂しくない、それが寂しい。
お年玉は合計〜〜円でした。うれし。


1月2日

今日は一人でF(注:金沢駅にある商業施設)へ行った。セールがあって混んでいた。帽子屋で取り置きしてもらった。近いうちにとりにいこう。
夕方は家族で内灘の銭湯へ。露天風呂はのぼせなくて好きだ。Y兄ちゃんとT叔父さんからお年玉が届いた。嬉し。

おやすみぷんぷん2.3巻購入。


1月3日
今日は午前中からgood job!!(注:バンド名である、ライブハウスで馴染みの違う高校に通う同級生が幾人かいた)のYとMと街へ。
服を購入。やっぱりsensual FMH(注:わけのわからぬブランドである)が好きだ。
その後BIGBOSS(注:楽器屋)でoffloadのMとallycatのOと(注:それぞれバンド名)五人でスタジオへ。僕は見ているだけだった。
Oはとてもギターが上手くて、あれほど弾けたらいろんなことを表現できるんだろうなあと思った。ACアダプターがセールだったので一つ買った。4時ごろ変な時間に釜揚げうどんを食べた。特別美味いわけではなかった。
宿題ぜんぜんしてない。


これぐらいだらっとかきたいものだけれど今年は出鼻くじかれてしまった。

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