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暖簾くぐって困り顔けむりひとつ



バスタオルは必要なのか、湯を浴びた後、脱衣所に立ってふとそんな事を思った。

昨年10月から40円も値上げした京の町の湯屋の入浴料、旧回数券を持って行ったとしても40円を添えぬことには中に入れてもらえないという世知辛さ。
とはいえお家では到底得ることのできない湯屋ならではの法悦、心を弛緩させるにうってつけの憩いの空間に気づけば足が向くのは当然のことでジャラジャラ小銭をもって暖簾をくぐることをやめれないわけだけれど、小銭の他に湯屋へ持っていくものを頭に順々に浮かべてみる。
体を洗う為の諸々、お着替え、湯上がり後に体につけるお薬、体を拭うバスタオル、、、。
思えばかなりの道具を要する。
身一つで行って湯をかぶって終いというわけにはいかないわけで、これに、あかすり石、剃刀、シェイバア、サウナ帽だとか、お尻に敷くマット(ピクニックみたいだ)、マイ桶を用意する人だっている。
かと言って、僕が持参している物どれもこれも必要不可欠で自分の脆弱ぶりをひしひし感じる共に、いや待てバスタオルというのは本当に必要なのかしらんという思いに至った。バスタオルってかなり大きい、これほど大きい布は果たしてなくてはならない存在なのか。特に湯屋に行くとき一番嵩張るのはこのバスタオルである。その日、諸事情でお家で使っているバスタオルを使わずに、三尺手拭いのような小さいもので間に合わせてたのだけれど、其れで十分に間に合ってしまい、今までバスタオルで体を拭きとることに専心してきたわけだけれど、このバスタオルという名に自分は惑わされていやしないか、、これまで味方だと思っていた奴が実は敵だったのではないかという思いに駆られて一人煩悶する。
髪を乾かす大体をエレキドライヤーに任せるわけだから実質体を拭うのみである。家で使うのにもバスタオルが何枚もあると相当の場所塞ぎとなってしまう。実は無くても困らない存在なのではないかという結論至ってしまう、、というのをわかっているんだけれどもこれまでの関係、付き合いというものがあるわけだから一蹴することなんて、とてもじゃないができず、イマイチ踏ん切りがつかない。
こんなこと考えることにうつつ抜かしていてはせっかくぬくい体冷えてしまうと、急いで服を着る。髪を乾かす。どうしたものか。

調べてみると小さいバスタオルやら薄手で乾きやすいのやら沢山あった。
タオル屋っていうのはあるのかしらないのかしら。此処らにあるのかしらないのかしら。
今あるバスタオルを全部捨てて、総入れ替えすべきか、、或いは湯屋用に一枚買い求めるに留めるか、、。
困り顔で暖簾をくぐる、そんな頭には湯気一つ。悩みすぎた故、頭から煙がでたのだろうか、、、。
いえいえ湯を浴びてあったまったからですヨ。

















追記
熱いお湯はお肌に良くないから、銭湯は控えなさいとお医者さまから言われているのにまた行ってしまった。

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