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ネギ平和論

ネギをさしている人に悪い人はいない。
これは僕の持論だ。おそらく間違っていない。

「刀を差す」というような表現をしてしまったが、単に買い物帰りでネギをはみ出させている人(大抵はみでる)に悪い人はいないのではないかということである。平和的な暴論でなのである。
しかし考えてみてほしい、ネギが買い物袋からはみ出している様はなんと家庭的で平和的なのであろうか。トントンと包丁の小気味よい音を鳴らし、料理をしている母親の姿が目に浮かぶ。ふんわりと湯気が部屋を取り囲み幸せなかおりが部屋をつつみこむ。夫はお風呂あがりで先にビールを一杯ひっかけながら、まだ小さな子どもと、中年男性にはきわめて退屈なバライティ番組に目をやっている。子どもは大笑いで、さっきまでお父さんとのお風呂をぶつくさ言いながら入っていたのをもう忘れてしまったみたいだ。
、、、と中年女性がねぎをさしていたならばここまで想像してしまう。これは飛躍しすぎでデタラメもデタラメだが、もっと感覚的な話で、ネギをさしている人に僕はいくらか気を許してしまうらしいのだ。理屈でなく。
猫を抱いている人であったり、犬を散歩している人に気を許してしまうのと似ているかもしれないが、ネギは野菜だ。懐くわけでもなく、可愛い仕草をするわけでもない、ただそこにささっているだけのことである。

先日家で友人と鍋をすることになったので、近くのスーパーでネギを買った。スーパー袋は友人に持ってもらって僕はネギのみをサーベルのように片手に持って歩いていた。そうするとすれ違った男子学生達に、「ねぎもってるよ」と笑われてしまった。それは貶しているというのではなく、ただ可笑しくて笑っているニュアンスであったと僕は解釈している。こんな風にネギは少ししまりのないもの(にぎりしめていると笑われる)ではあるものの、平和的な野菜なのである。どれだけ男前でカッコいいアーバンなファッションを身に纏ったとしてもネギを持たせれば、ぐっと身近な人になり近所のお兄さんお姉さんに近づくことだろう。カッコつけたければネギを持たないのがよい。お洒落なバーにネギを持っていこうものならバーテンダーから苦い顔をされることだろう。

もう一つ踏み込んで考えると、そんな平和的野菜であるネギを利用した犯罪がおきないとも言い切れない。スーパー袋にネギをさすことで、周囲にとけこみ周りから怪しまれることもなく、空き巣やスリなんかを行う輩がいないとも考えられない。そんなネギを利用した犯罪を繰り返す集団ワルねぎ一団が日本のどこかで悪事をはたらかせているかもしれない。誰にもばれずに、、。なぜなら平和的野菜のネギを悪用しているからだ。なんと罪深いことか。そう考えるとあそこにいるネギをさしているおばさんだって何を企んでいるかわからないし、このあいだのバックにネギをさしながら自転車を漕いでたお兄さんも何をしでかしたものかわかりゃあしない、、、、

書いていて自分でも馬鹿らしくなった。なんにせよ僕はネギ平和論を唱える1人である。

追記 
こんな時なので家でゆるりと、シャキシャキねぎの入っている味噌汁を食べよう。
群馬県の特産のずんぐりとした下仁田ネギが美味しいらしいです。お鍋に最適なんだとか。食べてみたい








それとつい先日発売された老舗女性誌OLIVE(復刻版)にちょこっとだけ掲載されてます。目を通していただけたら幸いです。

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