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巡りの雨


「巡りの雨はあなたのため、そして僕のため(仮)」


めぐりのあめだ!めぐりのあめだ!
小さな男の子が叫び、母親は「恵み」のでしょ?なんて笑って、最近は今日のような、急なざんざ降りが多くって、昨日だってそうで、部屋にこもっていて室外機の音がうるさいなと窓を開ければ、雨がばっさばっさ落ちてる音だった。
今日はぐずついた天気が一日中続いて、夕方になってもう我慢ならぬと堰を切ったように雨が一気に降り出した。大人と違って子供ははしゃいで、なんだか嬉しそう。
「巡りの雨」とってもいい言葉だ。
雨は巡り巡って地におっこちてきているのだから、間違っちゃいない。

と、そんな事を考えていたらSさんから返信。
今度一緒に共演させていただく歌の大先輩。
今スリランカにいて、癌に困った人がいるから助けにきているのだという。
彼は建築家であり画家であり音楽家であり小説家であり、、どれだけ肩書きを並べ立てても彼を表現することはかなわず、だって医者でもないのに癌を治しにスリランカまで行くような人をどう形容すればいいのか。
「しかも治ったよ」
お礼にご飯食べさせてもらってると、写真が添付され、自分の絵も10万円で売れたともいってる。
いまから音楽療法として、一日うたをつくって聴かせるのだという。
「一ヶ月笑えなかった人が笑ったんだ」
彼は冗談みたいな事を本当にやってしまう。
子供じみたことといってもよいだろう。
採算度外視でスリンランカに赴き、人に会いに行く、普通の人なら、簡単にできることじゃない。隔てるものが多すぎる、と考えるのが普通だ。
結果的に絵が売れて、ご飯が食べれて、、、本人が一番楽しそうだ。
巡りの人だなあ、なんて思った。
子供じみていることって結局、とてつもなく大きなところへ帰っていく事なのだと思う。
彼は大きく巡っている、そんな流れを感じる。

創作におけるなんらかのイメージが「降りてきた」と表現することがよくあるけれど、あれも、雨とおんなじで、巡り巡った末に自分のところに降ってきたのだろうなと思う。
どこかで全ては繋がってる。
そんな気がしてならない。
とどめてばかりじゃいけない。
だから作品を発露させる。
また自分のところに巡り巡ってかえってきてもらうためにも。

あんまり抱え込むのも良くない。

こうやってインターネットの片隅に、文章を綴るのだってそう。僕にとっては立派な表現。

また頼むよという気持ちで。

どうかあなたのところへ。






追日記


7.16
古本屋の軒先でうたう
案に相違してたくさんのひとが立ち止まって耳を傾けてくれた
嬉しかった
海外の人が多く
「きっと」という僕の歌を歌った時
「きょうと」の歌をうたってるのと勘違いしたみたいだった、
確かに、似てるものね

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