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お歌をうたわず一緒にうたいましょ

小さい頃から国歌である「君が代」が好きだった。つよい愛国心や尽忠報国の思いがあったわけではない。歌詞の意味をよく理解していなかった。僕は小学校だったか、中学生だったかある時から学校の校歌をみんなで歌わされることにどうも納得がいかなくなった。気色がよくないことのように思えてしまったのだ。(心当たりのある人が少なからずいるのではないでしょうか?)ある年齢に達した多くの少年少女に訪れるもやもやとした言い表せぬぶつけようのない鬱憤。その中の一つにすぎなかったのかもしれない。
しかし反旗を翻す革命児たる度胸も気概も僕にはなかったので口パクというささやかな反抗をもってして自分を納得させてやり過ごしていた。
というのも国歌を歌っていない先生を見かけたからで、国の歌を歌わない先生がいるなら、校歌を歌う必要もないんじゃないかと少年は純粋にそう思ったわけだ。(先生がある思想の上で歌わなかったのだとずっとあとになってから知る)

校歌はみんなと一緒になって歌う気にはなれなかったが、国歌は好きだった。
単純に国歌のメロディに魅せられたのだ。
国の歌だというのに、街に溢れているどの曲とも趣が違って馴染みがなく風変わりだなといった印象を受ける。それなのにも関わらずある種の親しみ懐かしさが込み上げ僕の耳には心地よく響く。意味はまったくわからないが、詩が持つ言葉の律動が沁みる。
国民を鼓舞するような意図を感じられず、悠久の時の流れに乗っかるようにどんぶらこどんぶらこと優しくどこかへ運んでくれるかのよう。
とうぜん当時はなんとなく心地がよいなと思っていただけで、今の感覚で言い表してみるとこうなっただけのことだ。口ずさんでいて親が不思議がっていたのを覚えている。
今になって調べてみると、君が代は雅楽のなんやら「律旋法」というものをもとにつくられているらしく西洋音楽の見地からすると異様なものらしい。現在の日本含め世界のいたるところ流れている様々な楽曲は基本的に西洋音楽理論に習ってつくられているので、この枠組みからはずれているからこそ違和感を感じたのかもしれない。
歌詞は古今和歌集からとられていて世界最古。しかも読み人知らずなんだそうだ。俳句や和歌の詠み人知らずはとっても浪漫があるなと思う。
君が誰なのかは僕にはどうでもよくて、どこかの誰かさんが、身近なものを想ってひっそりと歌ったものじゃないかと勝手に思っている。

日本語はゆったりとのびやかな曲にしっかりとはまる。「しっかりとはまる」というのは間違いか、馴染むのだ。染め物のようにしっとりと馴染む。


日本語の底力を僕はまだまだ知らない気がする。


今月末大阪pangeaというところでwanggungbandというバンドとツーマンライブをします。僕はバンド編成で。是非お近くの方は遊びに来てください

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