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ひゅうどろん文字

僕は誤字脱字を良くする。
このnoteをいくばくか読んでいただいてる方なら重々承知のことと思う。
電子機器に文字を打ち込むなら尚更の事で、
一応は自分で読み返してはいるのだが、自分の頭の中では正当に出来上がってしまっているわけで、何度読み返してもその誤字は姿を現すことは無くオバケのように僕の前からひゅうどろんと姿をくらます。幾日か間を置いて読むと誤った文字の奴らが油断してさもありなんと胡座をかいているのだ。
原因の一つとして発作的に文章を書いている事にある。ひょいと頭に浮かんだものを逃すまいと、びゃあっと書く。文字は厄介である。
整然とした秩序の元に成り立ち、ほんのちょっこしズレが起こるだけで文字たちの間で不和が生じる。
だけれど此れを読んでいるのが日本語が堪能である方であるならば、僕が多少の誤字をおこしたとて大体の意味を汲んでくださっていることと思う。僕は、ここに心地よさを感じる。(言い訳がましく聞こえるでしょうね、、此れは間違いなく言い訳なんですからそれは当然です) 

ある程度破綻した文字を汲み取ってくれるのだから其処に愛を感じるのだ。異国の地で辿々しい自分の言葉に耳を傾けてくれ、自分の心を汲んでくれる人がいたならば親しみを感じるのは当然ではないか。頑丈な橋を渡って此方側に来てもらえるのと、崩れそうなガタガタな橋を渡って此方側に来てくれるのに、どちらに愛を感じるだろう。消えかかった古代文字を読み取る人の心とは、、、。社会に溢れる活字は、なぜこうも誤字脱字がないのだろうと驚かさせられる。本はどうしてこうまで正しく、ちんと文字が並んでおられるのか、、。小説にしたって多少誤字脱字があってもいいのではないかと思う。其方の方が人間味もあって良いのではないだろうか。受け手側がもうちっとだけ、心を傾ければ済むはずなのだ。誤字脱字は文字の息づかいともとれなくもないのではないだろうか、、、
偉人が残した文章で誤字脱字があったならば其れこそ浪漫を感じるに違いない。




というのは如何でしょう??






追記
今回は殆ど見返さずネ

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