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がらくたの上から


携帯電話のメモに思ったことや、歌詞の切れ端、気にかかった言葉などいちいちいろいろ書きつけるのだが、MCと題されたメモがあった。まったく覚えはなくて本当に其れをステエジで喋ったのかも定かでない。このまま捨ててしまうのはなんだからとガラクタを積み上げてみた。書き加えなしでただ積んでみた。


1

人のいないライブハウスというのはなかなかさびしいものです。
何度もお客さんがいないライブを経験してきましたが。慣れないものです。
慣れてはいけないのか。

そういった人がいないライブハウスは、休日の校庭、閑散とした遊園地や、動物園を連想させますね。ライオンがぐうぐう眠っているようなね。
ちょっとした寂しさがただよっているような。

平日の昼間にはいった、喫茶店がすいてたり、真っ昼間に乗った電車が空いていたりすると時間がゆったり流れるのを感じて良い心持ちがしたりするものですけど、ライブハウスはそういかないみたいで難しいですね。
ある種の緊張がはしります。

この緊張感を楽しめればいいんですが、、。
お客さんの大切さが身に染みますね
まあなんにせよゆったりいきます


2

この曲間といいますでしょうか。所謂MCというものですね。ライブにはつきものなんですけども。これがいつまでたっても慣れないですね、、。歌に頼れないわけですから、人間性がでる。ごまかしが効かなくてこっぱずかしくなってしまうんです。

ミュージシャン仲間を見ても僕が仲の良い人たちはとりわけ、MCが苦手な人多くて。MCどうしようかなんて話したりしますけど。
歌いにきてるんだと開き直ってまったくお喋りをしないライブも何本もしたことあるんですけど、そうすると場の緊張感がすごくてですね、僕も疲れてしまうんですよね。
誰か参考にできる人はいないかと考えた時期がありましてね。誰がいいかなと。
なるべくミュージシャン以外の人がいいなあと。

話といえば芸人だったり噺家が参考になるだろうと思いまして。
落語を見てみますとですね、落語には枕という部分がありまして、本編の小噺に入る前のつかみになるんですけど、これで、お客さんの緊張をほぐしたり、アイドリングの役割になっているんですけど。これが本当によくできていてですね。
場が温まってきたところでさらっと本編の小噺に入るんですけど、当たり前の話なんですがいっせきいっちょうでできるものでなくて、僕がやってみても猿真似程度にしかできないわけです。あの程度に達するのにどれだけ時間がかかるかわからない。そんなことに時間を費やすならば、歌うたっとけよと笑

噺家を参考にするのも違うなあと思って。
そこでふっと思ったのが法話(説教)してなんですね。法事なんかの際にお経をあげてお坊さんが喋ることですね。
面白のがですね、落語の起源がお坊さんの法話ではいかという説もあります。
上方落語は商人の街ですから、客寄せが起源なんじゃないかと言われていまして、江戸落語は法話だと言われています。諸説あるらしいですが、、。

きいてるとそんなにかたっ苦しくないんですよ。そして心地よいテンポで、たまにふふっと笑わせるような。いたって穏やかな喋りといいましょうか。僕が聴いたのはお坊さんの臨死体験の話でした。
そんなゆるやかに皆さんの前で話せたらなと思ってるんですけどまだまだ道は長そうです。
僕は歌うためにきとるので、、。


3

世界は自分というフィルターを通してしか見ることができないですよね。自分から飛び出して見た世界はどんな綺麗なんだろうと思ったことがあります。素敵な人や作品に出会うとこの人には世界がどうやって写ってるんだろうなんて思うこともあります。

同じ空でも人それぞれ受け取り方が違いますよね。とてもいいことがあった時は澄み渡った綺麗な空に思えるかもしれないし、散々な目にあったその日の空は無責任で空虚に映るかもしれない。

消防士をやっている友人が言っていた話なんですけども

火事が起こって家がやけただれてしまってたんですね。無事消化することができて、そんな家屋からふと見上げところに映った空がとっても綺麗な澄み切った青空だったりすることもある。そんな時はなんとも言えない気分になる。そんな事を聞いて、書いている途中だった曲にそのまま歌詞として加えました
すべては自分次第なんだっていう、腹が減れば飯を食うくらいの当たり前の事を歌ったうたです。









追記
うーーむ、どうなんでしょう

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