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N夫人のちいさな図書館 後編


おそるおそる中に入ってみることにした。


「ごめんください、、」と心の中でだけ唱えてドアを開ける。玄関のたたきに立ってしばし部屋の中をみまわした。
まず目に飛び込んできたのは、大人の顔の大きさほどあるオウムだ。チェーンに繋がれているわけでもなく、むっくりと止まり木に鎮座している。下に敷かれた新聞紙が糞だらけになっているところを見るとずっとそこにとまっているのだろう。僕が部屋から入ってくると、ぬうっと此方を見る。羽をばたつかせたり鳴いたりはせず、唯々ぬうと此方を見つめている。ペンギンのような、白と黒の体にメガホンのような黄色いクチバシを持っている。オウムの横にはオウムと同じくらいの大きさの地球儀が置いてある。毎朝、櫛でといでもらってるのではないかと思うくらいにオウムの毛並みが美しい。鳥がいる部屋と思えないぐらいこざっぱりとした清潔感のある部屋だ。


6畳ほどの洋間に大きな本棚が3つ壁に沿ってL字に置かれている。時世による配慮で、部屋の中央に置かれている四つの机はアクリル板で仕切りがしてある。部屋の隅にはポットが置かれていて、書いてあった通り自由に飲んで良いものらしい。
玄関には、身内でつくったものだという短歌集のフリーペーパーが置かれている。
磨りガラスの戸を隔てたこの部屋の向こうは館長の住居スペースになっているのだろうか、テレビの音が漏れ聞こえてくる。


しかし誰も出てこない。


成る程、誰かさんの書斎に遊びに来た心持ちになる。それにしても個人の持ち物にしては数が多い。4、500冊くらいあるのだろうか。
ジャンルは多岐にわたり、相当読書好きな人だったんだろうということが伺える。ヒトラーの我が闘争、詩集、森鴎外や夏目漱石などの明治、昭和初期の作品から村上春樹に至るまでの様々な小説、SF、俳句、新書、図鑑、辞書、旅行ガイドブック、アウトロー系のサブカル本、エンディングノート、「だから混浴はやめられない」なんて本まである。本当に書斎をそのまま移設しただけのようだ。死についてや癌をテーマにした本が多く見受けられたのが気にかかった。

僕は椅子に腰掛けてテーブルに身につけていたボディバッグを置き、椅子に腰掛けて一番最初に目に止まった金子みすずの詩集を手にとった。
小学生の時授業で読んだきりだった金子みすず。
幼い子どもから宝物をそっと見せてもらったような。そんな感覚になる輝く言葉たち。
手のひらで転がして陽の光にあてたくなる。
それでいてどこかひき出しにしまっておきたくなるような、こんなにも無垢で明哲な言葉を紡ぐ人だなんて知らなかった。
ちょっとした出会いにしばらく夢中になっていると、館長であろうご婦人が隣の部屋から出てきた。
小さく華奢で骨張った体。白髪と黒髪が丁度半々ぐらいの割合で、鼠色の髪の毛が幾らか混じっている。髪を束ねているけれどぱさついて所々、あほ毛がでている。齢は70くらいだろうか。


「あら、いらっしゃい」
潤いに欠けた嗄れた声。

「あ、どうもこんにちは、、お邪魔してます」

「ここの本はね私の夫のものなの。全部よ。私のものは一冊もない。気に入ったのがあったら自由に持っていってね」

喋り相手を待ち侘びていたのか、彼女は夫はどういう人物だったのかや、昔の二人の暮らしぶりについて、怒涛のお喋りをはじめた。(同じ話がくるくる回ることが多々あった)
僕は彼女の目をしっかりと見て、うんうんと相槌をうつ。本の持ち主はある会社の社長であったこと、文学青年で本ばかり読んでいたこと、、旅が好きだということ、子供をつくらなかったこと、奥さんに一度逃げられたこと、、、。

「夫はね昔から優等生だったの。学生の時は小中高と学級委員長を務めてね。だけれど一度情熱が傾くと、周りが見えなくなって一人で突っ走っちゃうことがよくあるの」

この話は二度聞いた。
オウムがぶるぶると体を震わし、一枚栞のような羽を空に落とす。


「彼が30歳の時に会社を起こしてね、それなりに成功してお金が手に入ったの。そしてある日思ったらしいの、自分は世界の殆どを知らないって。何も知らないで死ぬのが怖いって。」

「ある時から部下に殆どの仕事を任せちゃって、旅に良く出かけるようになったの。月に一度は国内外問わず、旅行していたわ。それで家庭をほったらかしにしちゃったものだから奥さんが逃げちゃったのね。子供を作りもせず彼方此方へ飛び回るもんだから愛想つかしちゃったみたいなの」

「それで私は生まれてからずっとある島に住んでいたんだけれど、旅行で訪れた夫と出会ったのよ。旅先で女を捕まえるなんてとんでもない男だと思うわ。土産物じゃないんだからね。捕まっちゃった私も私なんだけどねえ。」

話す彼女の窪んだ目には、はたして僕がしっかりと映り込んでいるのだろうか。此処とは違う何かを見つめているように思える。しかし彼女は確かに僕の目を見て話してくれている。老齢の方と話をする時に似たような印象を受けることが多々あるのだが彼女には、何か他とは違う不思議な魅力があった。

「これ島でとれる蜜柑なの。私の親戚みんな蜜柑農家でね。とっても甘くて美味しいから食べてね」

いつのまにか机の上に蜜柑が四つも並べられていた。急にあらわれたものだから面食らってしまい返事が覚束なくなる。彼女はもしかすると魔女なのではないかと思えてきた。

「あ、ありがとうございます。い、いただきます。」

「それでね、、」

なおも魔女の話は続いてゆく。彼女の声色が少し変化したように感じた。艶やかに僕の耳にそっと潜り込んでくる。
僕は蜜柑を手で転がしながら相槌をうつ。

「彼が私の両親を説得したの。島に滞在しているほんの一週間にも満たない短い間にね。会社を経営しているっていうのもあったんでしょうけど、それ以上に彼の熱い情熱に私の両親は負かされたんだと思うわ。しっかりと承諾を得て、彼は私と大量の島の蜜柑を持って島を出たの。まるで海賊のようよね。」


「彼はね決まって、一冊の本を持って旅に出かけるのよ。それで旅先で読むの。読み終えるまで旅を続ける。その詩集の裏をめくってみてくれる?」

僕は持っていた金子みすずの詩集の奥付を開いた。


鉛筆で「1975.3.15 みかん島」と書かれている。



「彼が私のところに来た時に持っていた詩集なのよ。大の男が読むものじゃないって恥ずかしがってたわ。でも私はとても素敵な人だなと思ったの。」

彼女がそう言った時、最初顔を合わせた時より、若々しくなっているように思えた。窪んだ目の濁りが拭き取られたような。こんなにも綺麗な目をしていただろうか。
彼女が僕に急に話しをはじめた意味がやっと分かった。

オウムが首をくるっと回す。
横の地球儀をじいっと見つめている。

「私ねこの部屋に入ってきた人の足音で、その人が話を聞いてくれる人なのかどうか大体わかるのよ。冗談みたいな話だけどね」

意地悪そうにフフフと笑う彼女はまたさらに若々しくなったように見えた。飛び出していた髪の毛はしっかりと束ねられていて、黒々としている。先程まで気づかなかったが、左手の薬指には指輪が淑やかに光っている。
こんなこと言われてしまっては話を聞くしかないじゃないかと、笑いがはみ出る。だから魔女は僕が部屋に入ってきても暫くは顔を出さなかったらしい。

ここに来るのは、一日にせいぜい一人二人が大体で、滅多に人と話すことがないそうだ。
そうとは思えぬ彼女のお喋りに包まれた、この小さな図書館は温くくて柔らかな時が流れている。
僕は近所に住んでいて、今日、部屋中の掃除を済ませて、人に会いに行く途中で此処へ立ち寄ったのだという話をした。そしてここ最近、男ながら部屋に花を飾るのに夢中になっていることも話した。彼女はフンフンと蜜柑を食べながら、僕の目をしっかりと見つめて話を聞いてくれた。蜜柑の甘い香りが図書室にふゆりと舞う。


時計を見ると、この図書館へ来てもう3時間も経っているということに驚いた。此処は時間の流れ方が違うのかもしれない。花屋さんが閉店するのにまだ時間があるけれど、もう行かなくちゃいけない。

珈琲飲んで行く?と魔女はポットの方に体を逸らす。
此処で迂闊にゆっくりしてしまっては、花を買いそびれてしまうかもしれない。心地良いけれどもうそろそろ切り上げようと思った。

「あ、もうそろそろ行かなくちゃいけないので、今日はここらへんで失礼します。この詩集お借りしていいですか?」

あら残念ねと、魔女は一冊のノートと鉛筆を僕に差し出した。

「ここにお名前と本の題名、今日の日付け、を書いてもらってよいかしら?いつ返してもらってもよいから、また好きな時に返しに来てね。10年後でもいいのよ。」

昔、学校の図書館で借りる時、図書カードに名前を書いていたなと懐かしく思いながら、名前、金子みすず詩集、2021年12月1日と書き記した。
この図書館ノートをよくよく見て、あっと驚いた。
花屋さんの娘である「村山かなえ」の名前があったのだ。おそらくあの娘で間違いはないだろう。一ヶ月ほど前に此処で彼女は本を借りているみたいなのだ。一度ならぬ、何度も此処に足を運んでいるようで嬉しく思った。


オウムはぐるぐると首を300度ほど回す。
その間、魔女は懐かしむようにパラパラと金子みすずの詩集を眺めている。そしてはっと思い出したように、

「このオウムはね夫が旅先で貰ってきたものなのよ、その話がまた面白くてね。こんなの貰ってきてどうするのよ、私たちの方が早く死んじゃうかもしれないじゃないって怒ったのよ。本当に死んじゃうことになるなんてね、、、、」

「ごめんなさい、もう行かなくちゃ。この詩集、必ず来週返しに来ますね。」

またお話し聞かせてくださいと半ば強引に話を遮って席を立つ。僕の失礼な態度にまったく意に介さないで、またいらっしゃいねとまた悪戯っぽく彼女は笑う。まるで少女のように。

玄関で靴を履く僕をオウムはぬうと見つめている。蜜柑忘れているわよと、ぽいっと僕に向かって彼女は蜜柑を投げる。


蜜柑と詩集を持って図書館を出た。
さっき水溜りを歩いたせいで少し靴がしめっている。だけれど今日は何とも思わない。


トントンしゅみしゅみ
トントンしゅみしゅみ



歩きながら借りた詩集をパラパラと捲る。
さっき読んだ時に比べて言葉がより輝きが増したように感じる。なんだか眩しい。
そうしてめくってゆくと最後のページに一枚の紙がはさまっているのに気がついた。




2021.12.1 村山花店 




彼女は本当に魔女なのかもしれない。


雲はいつのまにかふきとばされている。柿色に染まる空は、時計の針のように揺れる心をどこまでも受け入れていくれるようだった。遥か向こうには銀色に光り輝く飛行船が、寒さを切り裂いて太陽に向かって飛んでいく。


僕は心の内をまるごと空に向かって放り投げてしまいたい気分になった。





















あとがきめいたもの

エッセイを書くつもりが、どんどん自分の中でパンを焼いたときみたく物語が膨らんでいきました。(少々ふくらましすぎたかもしれません、、)結果、中々いい匂いのするものに仕上がったのではと思います。深いところを潜りこむような表現が思うようにできず、拙い作品ではあるのですが、出来上がった時、自分の中で歌が生まれた時と同じような喜びが湧き上がってきました。もっとしっかりと時間をかけて慎重に言葉をおくべきだろうともかんがえたのですが、出来上がった瞬間に感じた感触(手応えというのでしょうか)を尊重しようとも思ったのです。歌を作る場合はわりかし、この感覚を大切にしているのです。



なにより読んでいただきありがとうございます。
ではまた。











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