見出し画像

うずまきストローをくぐりぬける類いのあれこれ




「うずまきストローは宇宙につながっていると博士は語る(仮)」


ストローでまっすぐになってるんでなく、こう途中で、くるっと豚のしっぽみたいに渦巻いてるの、見たことありますでしょうか?
使い捨てのじゃなくてプラスチックの、幼児用で、僕は小さい頃にミッキーマウスが乗っかってる青色のを持ってて、というか兄のお下がりだったのかもしれなくて、(ストローのお下がりなんてありえるのだろうか?)まあ何方でもよいのだけれど、そんな、くるっと渦巻いたストローが好きだった。やってくるジュースを見つめてるのが楽しくって、時には、吸う力を調整してゆっくり、お次はびゅうんっと早く。
吸い出された液体はくるっと一回転してから口に運ばれてくる。
それだけで特別というか格別というか、今にして思えば不思議な心地だった。
ウォータースライダーを滑った時は自分がストローの中にいる感覚になったもので、ウォータースライダーではストローを思い出し、ストローでウォータースライダーを思い出す、そんな相関関係ができて、あの類の、ささやかな、ほんのちょっこしだけ心が上づるあの感覚に今になってなれるのは、そう多くなくて、他に一体何があるだろうか。

なかなか見つかるものではないよなあと、諦めて、持ってきた本の頁をめくる。
傍らには冷えた珈琲にまっすぐなストロー、汗をかいたお冷。
珈琲の苦味が口の中に広がる、僕は一体いつから無糖のブラック珈琲を飲むようになったんだろうか、分からない、嫌々飲んでいた時期は無かったように思うし、高校の頃にはもう無糖派だったような、気のせいかしら、二十歳を超えてだったろうか。かといって、砂糖がたくさん入った甘いのも捨てがたいんだよなあなんて、、、そういえばビイルも成人してはじめて呑んだ時から美味しくって幸いに、嫌々付き合いで呑むなんて事はなかったなあ、それは所謂「大人の舌」という類のものではなくて、ただ単に味覚や嗅覚が鈍感なだけだろうし、そういえば、臓物、ホルモンや秋刀魚なんかの内蔵、山菜系の苦いのも昔から割に好きで、わさびや辛み大根のような辛いのも好き、唐辛子系統がからっきし駄目だったのだが、あれは味覚より痛覚に働きかけるものらしいので、きっと痛覚は人並みに機能していたのだろう、それすら鈍ったのか慣れたのか歳をとってから辛いものが段々と好きになってきた。
嫌いな食べ物が殆どなくて、生きやすいには生きやすいのだが、僕に限っていえば、これは舌の鈍感さからきているに違いない、と思っている。
とまあ、こんな風に本の内容からしばらく離れて、別の事を考えていた。

指についた水滴が本の端っこを濡らした。

もしかしてこれだろうか、と思った。
さっきのストローの話。
うずまきストローでジュースを飲む時に訪れる、嬉しい、ささやかな気持ち。
グラスの雫を掬って濡らした言葉。
不意に濡れてしまった頁を、言葉を、紙を、見て僕はなんだか嬉しくなる。
ほんの一瞬の幸せを感じる。
そうだ。
何故かは分からない。
波うった本が決して好きなわけじゃ無い。
水をこぼしたりするとやってしまったなと思う。
片時の、言葉の傍にある雫を眺めて、それがしみになって、1ページを読みきらないうちから、消えてしまうくらいの。微かな。
ほんのいっときの心持ち。
一回転してジュースがお口にやってくるのを眺めていた時のあの心持ち。

多分僕はぐるっと回って無茶苦茶を言っている。
うずまきストローをくぐりぬけた先は案外ややこしい。


これじゃみんなのお口には合わんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?