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もしもしあなた様

もしもしあなた様

気が滅入って何をする気にもなれずに海を漂う塵のように、これといった希望もなく彷徨う。いつまでも出口がないように思われて途方にくれる。
生きていると本当に色んな事が内にも外にも絶えず巻き起こるわけで、それによって調子が変わるというのは誰しもがある事でございましょう。むしろ何も起こらなすぎるということで、調子を悪くすることすらあるわけですから人間という生き物は大変厄介な生き物でございます。

かくいう僕もこれを書いている今、心が浮かないのです。
年があけて10日余りがたちましたが、調子が良いと言きれない日が続いています。晴れきらぬどんより曇り空が続いているといったところでしょうか。これは先日に起きた能登半島地震(僕の生家は石川県にありまして、それなりの揺れを被りました)はまったく関係はありません。全くということはないかもしれませんが、原因は別にあります。いや、別といってもこれといった心当たりはあるわけじゃありません。
今日、雪平鍋で湯を沸かそうと火をつけっぱなしのまま昼寝をしてしまい水は全部蒸発、鍋は真っ黒焦げにしてしまいました。しかし、それだけで落ち込んでいるというわけではもちろんありません。ここ数日風邪を引きっぱなしで体調不良(市販の風邪薬がききませぬ)、思うように創作が進まない、どれも決定的な要因にも思えません。人に会って話せば心軽やかになりますし、これはごくありふれた、心の風邪のようなものなのでしょう。
重くて鈍い頭をよっこらせと、起こしてみたら何かが生まれるかもしれぬ、と書き始めた次第であります。何も浮かんでやいません。
何でもいいから書いてみよう、そうやって進めています。
さて、何を書こうかしら。思いつくまま書きつけてみようと思います、うまく纏めるのは大変億劫ですから。

学生時分、学校で習った事で、大人になってからも頭に残っているものはどれ程ありますでしょうか。
思えば就学期間というのは、人によりけりですがそれなりに長く、大変多くのことを教師から教えてもらった筈。なのですが、僕なんかは勉強がからっきしダメな劣等生だったので殆ど残っちゃいなくて、すっからかん。がらんどうです。本当に恥ずかしいくらい残っていません。
印象深いのは、やっぱり歌や文学、、それと体を動かす体育、、このあたりでしょうか。
とはいえ、音楽の授業は苦手で成績は良くなく、歌もリコーダーも上手でありませんでした。ただ不思議と心に残っている歌がいくつもあります。
君が代、コンンドルは飛んでゆく、バーデリーバーデラー(愉快に歩けば)、漕げよマイケル、サウンドオブミュージックで父が子供らに歌ってきかせた、あのエーデルワイス、荒城の月、箱根八里、待ちぼうけ、赤とんぼ、レコードで聴かせてもらった展覧会の絵、木星には度肝を抜かれた覚えがあります。音楽室にある大きなスピーカーから流れる音楽は、そこで鳴らされている本物の楽団のようだと思いました。当時、感銘を受けても、まわりに恥ずかしくて伝えることができず心の内にしまっておくことが多かったです。(それほど興味を持っている友達も、なんなら風変わりな馴染みのない歌を笑っているひとたちもいたからです)
今でも聴き返したり口ずさんだりする曲がたくさんあります。
そして、このあいだ思いがけないものを思い出しました。音楽、文学とは全く関係のないものです。

野菜をボウルいっぱいに入れたサラダが矢鱈に食べたくなりました。早速スーパーマーケットに行ってレタス、ブロッコリイ、ささみ、アボカドを買いました。
家に帰ってさあ支度。冷たい水でレタスを洗い、レンジで熱を通したブロッコリイの粗熱をとって、ささみを茹でてちぎり、アボカドをくり抜きました。
豪華なサラダが出来上がり、さあ食べようという段になってやっと気がつきました。
ドレッシングがないのです。ここまで万事整えて、またスーパーマーケットに買いにゆくのは面倒です。マヨネーズはあるからそれで我慢しようかとも考えましたが、ふと小学校だったか中学校だったかの家庭科の授業で茹で野菜をした際、ドレッシングを作ったことを思い出しました。おそらくですがその時、僕がドレッシングの調合係を担ったのだと思います。なぜだか急に思い起こされたのです。
おぼろげな記憶を辿って醤油と酢と砂糖と、、ごま油を適当に足して、とやってみるとそれなりのドレッシングができました。
あれだけ学校へ行き勉強をさせられたのに、残ったものが少しの歌とドレッシングの作り方だとは、なんとも情けない話です。しかし僕にとっては楽しいちょっとした経験でした。(ちなみに家庭科も成績は良くなかったです)

携帯電話で音楽を聴きながらこれを書きました。
サブスプリクションサービスでサイモンアンドガーファンクルを流していたのですが、このところ機器の不具合が多く、勝手に聴いたことがないものが流れはじめました。
アイドルグループ乃木坂46のおひとりさま天国という曲です。僕は70年のサイモンのアルバムを流していたのです。ところが、全く時代もジャンルも飛び越えた曲にいきなりリーチしてしまったのです。
すごい時代、、恐ろしい世の中だなと思いました。おそらく気分が乗らない今だからこそ、厭世的な心持ちになっているに違いありません。
これは前向きに捉えるべき素晴らしいことなのでしょう。
インターネットにより人と繋がる事が容易になったというか面倒が増えたというか、、個性を大事に個々人を大事にするばかりに今度は、人の心を過度に慮る全体主義的な社会になりつつあるんでないかしらと思います。昔と違うのは思いやる範囲が異様に拡大したことです。お隣さんやご近所さんだけじゃすまされず、目に見えぬ大勢の人たちを頭に入れておかなきゃならない。ぼくはイワシの群れを思いました。

最後に。先日名古屋の喫茶店で友人のミュージシャンとモーニングをしました。歌詞が決まりきらないと彼は書きかけのものを見せてくれました。
彼は歌詞に対して、実直でとても誠実な姿勢をもっています。それは歌詞だけでなくプレイスタイルにも出ている。僕には書けない詩。
歌いたいことがないと、確かに現代に生きる表現者はそう悩むことが多いかもしれない。
僕は彼がトイレに行ってる間に一息に歌詞を読んで、とても素敵だなと思えました。
人の創る作品の良いところ、その人の良いところを見つけられる心と目を養いたい。
トイレに戻ってきた彼に気の利いた一言をかけようと思ったのですが、何も浮かびませんでした。

二人とも同じセットを頼み、サンドイッチはとても美味しかったです。

「いつでも 青空ほどかなしくて」
「君と僕もここに置いて遠ざかってゆく」












追記
1月27日下北沢DYCUBE
1月28日新百合ヶ丘 BAR chitchat
関東でのライブが決まりました。
もしよろしければ遊びにきてください

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