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彼は遊びの王様より、さらに王様



高橋和希が亡くなったとニュースが飛び込んできた。沖縄の海でサメにやられただとか溺死だとか言われていた。
何だか遠い遠い親戚が死んだような、、暗然とした心持ちとは云えぬものの、全くの他人事とは思えない不思議な感覚に見舞われた。
著名人の死は多くの人の心を揺さぶる。

彼は漫画、「遊戯王」の作者で、僕と同じような世代の男の子は大体、どこかの年齢に達するとある程度熱中することが殆どであったように思う。少なくとも僕の生きてきた生活圏ではそうだった。
子供の頃から流行りに疎い方だったけれど、これには例に漏れず周りと一緒になって熱中した。
価値のある貴重な遊戯王のカード(カッコ良いモンスタアが描かれているカードゲーム)はお金より価値があったし、自分のお気に入りのカードの束は札束のようにして大事に扱った。今じゃあなんであれほど熱中できたのか皆目わからない。あの頃は盲目的にカードたちを偏愛していた。
公衆の和式便所でお気に入りばかり集めたカードの束を落っことしてしまった時にゃ、この世の終わり、人生陥落、阿鼻叫喚を極め、お先真っ暗になりくさり、若く青い沈痛な叫び声は虚空に吸い込まれていった。
僕が5つ6つの頃だろうか。
祭りのテキ屋にカードの偽物を掴まされて、絶望したこともある。あの時も目の前が真っ暗になったものだ。(子供相手になんて惨いことするんだと今でも思います、、、)


もう一つ思い出した、僕がなんやかんやあって、指を数針縫うほどに怪我をして、通院していた時の事。
待合室で病院に置いてある少年週刊誌を読んでいると、付録に遊戯王カードが付いていることが発覚した。それはバックナンバアで、書店では買い求めることが不可能な代物だった。
その雑誌を普段購読しているわけではないので、そんな付録がついていることをつゆも知らずにいたのだ。
どうしても欲しくなった僕は、診察室でお医者に診てもらってる時もその付録カードのことで頭が一杯だった。
診察が終わり会計を待つ間、機会はここしかないと決起し、勇気を振り絞って受付のお姉さんにカードを無心することにした。
そうすると、驚くほど呆気なく承諾を得る事ができ、僕は喜色満面、怪我の痛みを一時忘れる程だった。
受付のお姉さんは、ハサミで袋とじをあけて僕に中身のカードをくれた。
すると、急いで切ったからなのかカードの右上が少しちょん切られていた。袋とじを切る時にカード諸共やってしまったみたいなのだ。
僕は受付のお姉さんの好意の手前、文句を呑み込みありがとうございますと、お礼を言った。
7つか8つの頃には、人に「気を遣う」ということができるようになっていたのかと感心する。おそらくこれまでの人生の経験をフル活用して精一杯の気遣いだったのだろうと思う。



人の、幼き頃に盲目的に熱中したものの話を聞いてみたいな。





















追記

志村けんが亡くなった時も同じような気持ちに見舞われた。小さい頃バカ殿やひとみ婆さんが好きだったし、友達とひげダンスを踊って、腹がちぎれるほど笑っていたのが懐かしい。

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